エッセイ

光本惠子のエッセイ

豊穣の風景

豊穣の風景

笠原 真由美

学校は海に近かったので敷地全体が細かい白い砂でおおわれていました。公邸の真ん中あたりにきれいな竹林があって、下には小川が流れていました。竹の葉がさやさやと鳴る川の水はまるでとけたガラスのように透明で、その清らかな水のなかを小さな魚が群れをなして泳いでいました。

いきなり引用から入ったが、これはスリランカ生まれの児童文学者シビル・ウェッタシンハが自身の子供時代を綴った本だ。鮮やかな記憶が詩的な文章で描かれ、素朴で少し不思議な雰囲気を漂わせる挿絵も魅力的だ。一度読み始めると、その風景の中に引き込まれ、時を忘れる。
小さな村の慎ましやかで豊かな暮らし。

母は夜明けとともに起きました。一番先にするのは家中の窓という窓、戸という戸を開け放つことです。
豊穣の女神が
わが家に訪れるとき
われらは清潔をもって
女神に平和をささげまつる

なんと清々しく、厳粛な朝のはじまりだろう。

台所の扉は庭に向かって開いていました。庭はいつもきれいに掃いてありました。

庭には大きなライムの木があり、たわわに実がなる。ここでは誰もバタバタ急ぐことをしない。

アッタンマーは木陰にすわり、髪を風になびかせながら周りの景色をながめるのが好きでした。

月夜の晩、村は息をのむばかりに美しく、その銀色の世界を家々は扉を開けて迎え入れる。
世界の美しさは、すでに在る。この世の喜びは、いまここに在る。それを受けとる心に幼い日の純度があれば、日常のすべては「詩」になる。

わたしのなかにある子どもが、わたしの道をみちびく光でありつづけたのです。

『わたしのなかの子ども』(福音館書店)。
元図書館員の私が、「かつて子どもだった」すべての大人たちに薦めたい一冊である。

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映画ドライブ・マイ・カーを観る

どうしても読みたい本があるように、観ておかねばならないと思う映画がある。

映画「ドライブ・マイ・カー」はそんな作品だ。長編映画米アカデミー賞を取った映画である。村上春樹の同名短編小説と他の作品「女のいない男たち」「木野」「シェエラード」という二編の要素も取りいれて、作品は出来上がっている。劇中劇でチェーホフの戯曲「ワーニャ叔父さん」が作中劇となっている。絶望に耐えて生きていかなければならない人たちの姿を描き出す。チェーホフの作品がカギとなって描かれる。愛していた妻を失った禍福(西島秀俊)と、そのみさきという名の運転手役(三浦透子)の演技が自然体。芝居をしているという感じではなくて。そう、自然体がいい。 (さらに…)

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老いの歌

平等に人は老いてゆく

永田和宏の次の歌に出会い嬉しくなってしまった。

・花ふぶくなかに半日本を読むこの贅沢を老いてこそ知る
・これしきのことと思へるこれしきがかくもうれしくわれ老いにけり

(短歌研究2021年6月号) (さらに…)

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コロナとの闘い

コロナとの闘い

コロナ禍の中で読んだ歌を挙げる(未来山脈二月より)。 (さらに…)

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対立軸は作らない

短歌は文語か口語か、律においては五七五七七か自由律かで分類すると次のようになる。
一、文語定型
二、文語自由(波長のうた)
三、口語定型
四、口語自由律
しかし、このように分類すること自体、対立軸を作ろうとする人たちの思いであり、もっと柔軟に考えたほうがよい。
私の生まれた一九四五年は第二次世界大戦が終わりを告げた年。それまで戦時下にあって、口語で自由律などと言えば、それだけで、「戦禍の時代、自由などとんでもない」と軍部からはお叱りを受けた。 (さらに…)

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日本歌人クラブ甲信越ブロック大会の作品から【信濃毎日新聞 (2022年1月6日)掲載】

日本歌人クラブ甲信越ブロック大会の作品から

光本恵子

日本歌人クラブ甲信越ブロック大会(会長・光本恵子)を岡谷市マリオで行った。日本歌人クラブの本部(会長・藤原龍一郎)は東京にあり、歌人の組織はいくつかある(短歌の組織・歌壇)のなか人数は最も多い。地域ごとにブロックを持ち、新潟、山梨、長野の三県をまとめて甲信越ブロックとしている。

今年十月三十一日は、岡谷市マリオにて、藤原龍一郎氏を講師「コロナ禍の歌」と題して講演をおこなう。昨年から予定していた事であるが、果たしてコロナ禍のなか、会員で、集まることが可能か案じられた。それでも優良歌集を選ぶこと、作品募集など行ってきた。

すこしコロナ禍も収まった十月、予定通り開催できたことは幸いであった。東京、新潟、山梨、岩手などから五十五名の参加。

優良歌集は一位に 渡邊美枝子歌集『回転木馬』。二位に新潟県の松田慎也歌集『詮無きときに』がえらばれた。

 

・子には子の行く道のあり暑き日の大根サラダさりさりと食む(渡邊美枝子・富士吉田市)

・若き日は遥けくなれど紫の春は恋おしくリラを植えたり(松田慎也・上越市) (さらに…)

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角川「短歌」12月号に光本恵子の「現在をうたう」が掲載されました

「現在をうたう」

 

 

みつめて離さない黒牛の潤んだ瞳は山陰地方の耐えた生き物の眼

光本恵子第一歌集『薄氷』

 

「潤んだ瞳」は真実の眼である。

敗戦の年一九四五年鳥取県の港町赤碕(現・東伯郡琴浦町赤碕)に生まれた。大山の肥沃な国土を生かした農業と酪農でなり三つの村の要となす、日本海から水揚げされた魚を生業とする港町。その町で水揚げされた魚の仲買人の父は酒の販売から乾物物と何でもありの雑貨商(今でいうスーパーマーケット)。母と祖母はそれらの品を使っての料理屋を営んでいた。毎月旧暦の二十八日は海の荒神様の祭りに合わせて、牛市の日だった。あちこち近隣の村からおじさんたちが牛をトラックにのせて、あるいは引いて街にやって来て牛を売買する市が開かれる。高値で競り落とした馬喰たちのふところはあたたか。胴巻にたっぷりお金を詰めて、祖母、母の営む料理屋に集まる。 (さらに…)

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時代を切り取る

社会詠(戦時下のうた)

昭和十六年(一九四一年)十二月八日開戦となった。宮崎信義は昭和十八年三十一歳の時、召集令状(赤紙)を受け、暑い八月の末、門司から釜山まで輸送船で、朝鮮半島から満州を経て天津に。いったいどこに連れていかれるのか、生きて帰れるのか。ここには兵士のさりげない眩き、真実の声のうたである。戦前の歌なので、旧仮名である。
昭和三十年十一月新短歌社刊、宮崎信義の第二歌集『夏雲』から見てゆく。 (さらに…)

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短歌は和歌である

七世紀、西方から中国を経由して論理的な文字(漢字)が入って来ると、今まで話し言葉をその漢字を借りて表記するようになった。そこでお喋りしていた言葉(口承文学という)もふくめて、漢字の音を借りて紙面に残す作業を果たす。それらは「古事記」「日本書紀」「万葉集」とまとめられた。

出雲に近い鳥取の白兎海岸の近くで生まれた私は、隠岐の島に渡りたくて、サメをだまして、丸裸にされた白兎が大黒様に助けられた話をきいて育った。今住んでいる信州諏訪にもたくさんの民話が残る。諏訪族モリヤの逸話も諏訪神社の御柱の話もみんな、それらの古い本に書きとられた。文字として残っている。文字に表現することは素晴らしい。 (さらに…)

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シュール短歌

具象的な短歌ばかりではなく、抽象的で胸の内、心のうち、脳のうちを言葉にしてみると、こうなった。そんなシュールな短歌があっていい。却って心の内をよりよく表現できるときもあり、時間の経過に関係なく、普遍性のある歌になっている場合もある。詩心が深まり、多くの人の共感を促すこともあれば、「何を言わんとしているのか意味不明」として捨てられる場合もある。
ちなみに、シュールとは本来、フランス語のシュルレアリスムの略語で「超現実主義」という意味。一九二〇年代にフランスで興った前衛芸術運動の名前である。
次にシュールな歌を挙げてみることにする。 (さらに…)

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