永田和宏の歌

※第二歌集「黄金分割」

(一九七七年十月一日、沖積舎刊)

・丈高き夏草の葉の輝きに紛れて見えぬわがヨブの背も

(吃水を越ゆ)

旧約聖書の「ヨブ記」のヨブはまるで僕のようだと、自分の喩に使っている。どこも欠点のないような善良な男ヨブは、神様に痛めつけられる、苛め抜かれる。神は悪魔と結託してヨブをこれでもかこれでもかと苦境に貶める。それはヨブの背負った人生の理不尽な苦しみでもあるのだが、今同じような苦しみを感じている。背の高い永田の姿は自分の背丈より高い夏草の葉に紛れて見えない。今そんな状態で生きている。
河野と結婚し二人の子を授かった。民間の研究室で働くために東京に出てきた。しかし、しかし将来を考えると、このままでいいはずはない。細胞の研究を続けるには、民間の企業ではなく、もう一度、大学に戻りたい。大学の研究室に。初めての英語論文も雑誌に載ったではないか。しかし、研究室に戻ったものの無給の研究員。色々考えると苦しくなる、まるでヨブのようだ。ヨブは神にいろいろ試されるが、戦って誠実に生き抜き、最後は神と和解し勝利を得る。ここでも塚本邦雄の聖書的な歌がうかがわれるのである。少し暗くて難解な塚本の歌と違い、永田は明るく前向きなことだ。いつも優しくて努力する、誠実に懸命に生きる。

キリンのうた一首
・キリンの死にしニュースもありて休日の朝の肺腑に雨やわらかし

(古典力学)

 

 

※永田和宏第三歌集「無限軌道」

(一九八一年一月二十日、雁書館刊)

饗庭抄

・カラスなぜ鳴くゆうぐれ裏庭に母が血を吐く地は土に沁む

・水面に立てる釣糸 わが過去の何の痛みかときに騒げる

・抱かれし記憶持たざるくやしさの、桃は核まで噛み砕きたり

第三歌集「無限軌道」の最初の歌である。この歌は「饗庭抄」のなかの作品。饗庭(あいば)とは滋賀県にある地名で、永田はこの饗庭村五十川に昭和二十二年(一九四七)に生まれた。永田、二歳のとき母が結核を発病する。母の吐いた血が庭の土にぱっと広がり、その赤い色は次第に土に沁みてゆく。その母の姿を見た児の思いはどんなだったろう。
同時結核は怖い病気だった。伝染力の強い病気で、結核の母から遠ざけるために、永田は近所のおばあさんに預けられた。母はこっそり他人の目を盗んで息子を抱いたこともあったらしいが、ほとんど母に抱かれた記憶は残っていないという。
一九四五年に終戦。その二年後に永田は生まれた。出産から二年後に母の発病。戦中戦後の混乱期に結核が流行した。隔離しなければ他者にうつるといわれ、親子も近づけない。特効薬ストレプトマイシンを打てば治ると信じられていた。
・薬もとめて待ちゆく父の若き背を追い抜くは風か戦後か 寒し