時代を切り取る

社会詠(戦時下のうた)

昭和十六年(一九四一年)十二月八日開戦となった。宮崎信義は昭和十八年三十一歳の時、召集令状(赤紙)を受け、暑い八月の末、門司から釜山まで輸送船で、朝鮮半島から満州を経て天津に。いったいどこに連れていかれるのか、生きて帰れるのか。ここには兵士のさりげない眩き、真実の声のうたである。戦前の歌なので、旧仮名である。
昭和三十年十一月新短歌社刊、宮崎信義の第二歌集『夏雲』から見てゆく。

・どこをどう動いてゐるのかわからぬ 前の兵が歩くとほり歩いてゆく
(第二歌集『夏雲』「暗夜」)

・爆弾にびりびり地がゆれる 目をあけると右側に微かに揺れているすみれ
(第二歌集『夏雲』「すみれ」)

・つぶれたトカチに横に戦死体が埋めてある むき出しの肋骨に真夏の陽があつい
(第二歌集『夏雲』「土」)

・小便をし煙草をすひ終るとあと何分のいのちかと思ふそれまでゆつくり呼吸をしよう
(第二歌集『夏雲』「落葉」)

・ぐるぐるねぢててをきってゆく たたくやうに戦友の手を切つてゆく(遺骨にするため戦死者の手を切取る)
(第二歌集『夏雲』「手」)

・切り込むと指先がぴ<ぴくと動く 鶏に似たざらざらの青黒い手を切つてゆく
(第二歌集『夏雲』「手」)

・手をねじて 骨を切って 膝で押さえると ちぎるやうに切り取つてしまふ
(第二歌集『夏雲』「手」)

・青ざめた死顔にほくろが浮いてゐる 切り取った後の手を広げた戦友の死体
(第二歌集『夏雲」「手」)

・山崎の次が斎藤 次が橋爪 ― 火をかこんでこげてゆく戦友の手を見てゐる
(第二歌集『夏雲』「火葬」)

・俺もかうして骨になるのだろうか 火のまはりの垢だらけの顔をみまはす
(第二歌集『夏雲』「火葬」)

・食へるのもは何でも食ふ 薬のように一匹の蛇を分けて食ふ
(第二歌集『夏雲』「はこべ」)

これらの短歌から戦争の持つ狂気と異常さがずしんと伝わってくる。宮崎は戦禍の有様をそのまま詠み伝えるのが歌人としての責任とおもった。