日本歌人クラブ甲信越ブロック大会の作品から【信濃毎日新聞 (2022年1月6日)掲載】

日本歌人クラブ甲信越ブロック大会の作品から

光本恵子

日本歌人クラブ甲信越ブロック大会(会長・光本恵子)を岡谷市マリオで行った。日本歌人クラブの本部(会長・藤原龍一郎)は東京にあり、歌人の組織はいくつかある(短歌の組織・歌壇)のなか人数は最も多い。地域ごとにブロックを持ち、新潟、山梨、長野の三県をまとめて甲信越ブロックとしている。

今年十月三十一日は、岡谷市マリオにて、藤原龍一郎氏を講師「コロナ禍の歌」と題して講演をおこなう。昨年から予定していた事であるが、果たしてコロナ禍のなか、会員で、集まることが可能か案じられた。それでも優良歌集を選ぶこと、作品募集など行ってきた。

すこしコロナ禍も収まった十月、予定通り開催できたことは幸いであった。東京、新潟、山梨、岩手などから五十五名の参加。

優良歌集は一位に 渡邊美枝子歌集『回転木馬』。二位に新潟県の松田慎也歌集『詮無きときに』がえらばれた。

 

・子には子の行く道のあり暑き日の大根サラダさりさりと食む(渡邊美枝子・富士吉田市)

・若き日は遥けくなれど紫の春は恋おしくリラを植えたり(松田慎也・上越市)

◎当日の選者の選んだうた

藤原龍一郎 選 

・「牛乳屋」「洋服屋」などと呼び合いし父の仲間も逝ってしまいぬ(笠原真由美・下諏訪町)

森本 平 選  

・長距離のトラック並びツバメ飛ぶにぎわう道の駅は初夏(坂本容子 富士見町) 

宮脇瑞穂 選 

 ・老いすすむ母をかなしむわがこころ見抜きし母は淡くほほゑむ  (佐山加寿子 佐渡市〉  

小宮山久子 選 

・弁当の隅に詰めこむ野沢菜の甘露煮わが家の春となりたり(若林さつき 長野市〉

 

斯うして選ばれた歌を味わうと、だれにでも判る歌、作者自身の目で見て感じた思いの歌が取り上げられている。

原村 桜井貴美代

109 マスクして週に一度の買い物に行き交う人びと目玉ギョロギョロ                

              

原村 森樹ひかる

112  ピロピロピッピッちちちちち 一日楽しかったねまたあした 

                   

茅野市 泉ののか

114  るんるんバラのジャム作り あらあら電話のベルが鳴る

                        

原村 江崎恵子

115 風さんよコロナに息を吹きかけて宇宙の彼方に飛ばしてね                      

 

原村 太田則子

117 深夜の雪満月が白を引き立てる誰も入ってはならぬ

短歌は和歌である。

・入日入日まっ赤な入日何か言へ一言言ひて落ちもゆけかし  今井邦子『片々』

・霞辰立つながき春日を子供らと毛毬つきつつこの日くらしつ(良寛『蓮の露』)

・おもふひとこんといふまにうめの花けさの嵐に散初にけり(上田秋成『つづら文』)

・君と見て一期の別れする時も ダリヤは紅しダリヤは紅し(北原白秋『朱欒』)

・つぶれたトーチカの横に戦死体(したい)が埋めてある むき出しの肋骨(あばら)に真夏の陽があつい(宮崎信義『夏雲』)

・爆弾にびりびり地がゆれる 目をあけると右前に微かにゆれてゐるすみれ(宮崎信義『夏雲』)

・腕を思いきり伸ばし腰をくねらす飛沫跳ね地球はぐらっと傾いた(光本恵子『素足』)

この1年に選ばれた歌集は 

 

項目に「麒麟抄」があり、キリンに関心がある永田だ。京都には古くから、京都市動物園が岡崎公園の中に在る。ここは京都の左京区なので京都大学や彼の住まいから近いこと。

最近の学生のデート場所は知らないが、一九六〇年代ごろの京都の学生のデート場所は決まって動物園だったことを思い出した。

 

・首の長さゆえ幼らに愛されてキリンは高き柵に囲わる  66p

 

・夢のごと駆けるキリンよかろがろとわれも振り捨てたきものもつを  67p

佳 作

上田市 深井喜久代

 髪に汗光らせ帰りし少年がいきなり蛇口をつかみ水飲む      

 

下諏訪町 中根みち子

 雪踏みてハウス開ければそこは春湯気立つ黒土香る春菊      

 

一関市 貝沼正子

 穴だらけの老いの話はもう一度主語を確かめ筋を合わせる     

 

甲州市 廣瀬妙子

 新しく買ひしサンダル履きこなす足いまだあり風に吹かるる    

 

諏訪市 増田ときえ

日光キスゲを駄賃にて無人の山荘を鹿に託すコロナ禍の夏

小澤蘆庵と上田秋成、香川景樹

君のため木曽の山雪わけてまたいぬらむか木曽の山道(小澤蘆庵『六帖詠草』から)

霞立つながき春日を子供らと毛鞠つきつつこの日くらしつ(良寛『蓮の露』から)

おもふ人こんというまに梅の花けさの嵐に散初めけり(上田秋成『つづら文』から)

 

矢代東村

何もしたくない。

だが

何もしないで、じっとしてはゐられない

この気持!

 

あの大きな

瞳でじっと見られたとき、

おさへきれない

おれだったか。

 

考へなしに

何の考へもなしに、みんな

同じ方向へ

押されて行く。(大正五年)

 

次に、宮崎信義の歌を挙げてみる。

つとめて自分をつきつめまいとする心が私を卑怯者にする(歌集「流域」から)

眠ってゐても集まってくる 逞しい枯葉の群れが蝶の上を飛んでゐる

雪ふるやうに勝敗に身をけづる 叫びながら眼ばかりの一本の茎が光ってゐる

爆弾にびりびり地がゆれる 目を開けると右前に微かにゆれてゐるすみれ(歌集「夏雲」から)

俺もかうして骨になるのだろうか 火のまはりの垢だらけの顔を見まはす

あたらしく生きていかう みがれた靴のかるさよ 児に送られて家を出る

 

・しなしなと寄り添ってみても突き放されても起き上がるのは自分一人

・薄氷の湖畔に墓穴をほり続けるあなたいっしょにはいってくれますね

 

・花びらはことば 人とことばの空間に見えぬものを見る

(歌集『素足』)

・なにを待つというのか胸の下がきゅんと震え水に浮かぶ木の葉のよう

・入道雲よ見ているか 鉄棒にまきつく少女の逆上がり

・子供も乙女も戦に巻き込まれ土になった日 私は母の胎内を蹴りつけていた

・腕を思いきり伸ばし腰をくねらす飛沫跳ね地球はぐらっと傾いた