前田夕暮歌集「原生林」から

宮崎信義は前田夕暮に弟子入りしたのが昭和6年のころ。
そこで今回は、夕暮の歌について触れたい。
前田夕暮の歌集として「原生林」は大正十四年十月三日に改造社から発行。さらに昭和四年に改造文庫第二部として改造社から出版され筆者が持っているのは昭和四年のものである。これは定価三十銭。

大正九年作「奥秩父」から
・ただなはる秩父むら山ふもとべの曠野にいでて人畑をうつ
・山原に人家居して子をなして老いゆくみればいのちいとほし
・川隅の炭焼竈にはこぶ火の水に影おとす寒きゆうべを
・ほの青く空にあがれる炭竃の煙しづかなり谷の夜あかり
・谷底は夜あかりうすし冬さればいのちいとしみ小舎つくり棲む
・暗渠をながるる水の音冴えてさむさ身にしむ夜業の終り(製材工場)

歌集「原生林」と平行して、「前田夕暮篇」が昭和十一年十二月に第一書房から刊行された。その末尾「前田夕暮年譜」に詳しく自身のことを書いている。
その年譜によると、夕暮は明治三十九年、二十四歳の時植村正久の日本基督教会青山支部牧師の大谷虞によって洗礼を受けている。また、この年は、尾上柴舟の門下を離れ、与謝野鉄幹の「明星」に対抗して「白日社」とし、「向日葵」の発刊した年でもある。
夕暮の短歌は植物や小さな生物、子どもに対して骨太なやさしさが感じられる。「原生林」までは定型短歌が多いが、昭和四年以降は口語で自由律短歌。

昭和四年十一月。四十七歳のとき、朝日新聞社機コメット型第一〇二号に搭乗し、東京から丹沢上空を飛び、その感激から自由律短歌となるのである。
次の歌集「水源地帯」(昭和七年刊・白日社)からは口語自由律歌になっている。

・夜、眠ろうとする私の旅愁のなか ― 奥入瀬が青くながれはじめる
・あけつぱなしの手は寂しくてならぬ。青空よ。染み込め
(前田夕暮「水源地帯」)