短歌会「未来山脈」とは
「未来山脈」は、現代の口語を使い、自在に今日の短歌を作ろうとする者の集まりである。
1. 他結社と違うところ
「未来山脈」の主張する短歌は、口語自由律歌である。他結社が文語定型の多い中、「未来山脈」の主張は際立っている。
2.わが結社が考える結社の役わり
「未来山脈」の短歌作りの主張は、明白である。今生きている今使っている言葉で自在に短歌を詠もう。もともと万葉の時代から詠まれた和歌に、欧米の詩を導入してポエジー豊かな短歌をと願った人々によって起こった口語短歌運動である。藤村に応援された石原純、啄木、土岐善麿、前田夕暮など口語定型から始まったが、ポエジーを追求しているうちに定型に収まりきれず、自由律になる。しかし、1935年あたりから、戦禍が激しくなり、「この非常時に自由律とは何ごとか」と攻められ、多くの自由律歌人は筆を折らざるを得なかった。戦後四年目に、宮崎信義は戦禍から帰還した口語歌人に呼びかけ口語自由律歌人の結社「新短歌」を起こす。
一九六九年、東京オリンピックの年。光本は鳥取から京都女子大文学部国文学科に入学。さっそく、京都の短歌結社をあちこち訪問。そこで私の歌作りに寄り添ってきたのは文語定型律の結社ではなくて、口語自由律歌の宮崎信義の主宰する「新短歌」であった。早速、宮崎に弟子入り。二年後、河野裕子、永田和宏、安森敏隆、遠山利子らとともに、超結社の関西学生歌人連盟「幻想派」を結成。
当時、共に行動した彼らにも自由律歌の影響があったのである。ただし歌壇は口語自由律歌に対して理解はなかった、というより冷淡であった。
・短歌の原点ともいわれる「万葉集」は定型律の外に、長歌などもあり、口語に近いところで詠まれた。二一世紀のこれからも短歌が日本の詩歌として生き残るには、時代のことばすなわち口語で詠わなければならない。短歌が三一音となったのも、紀貫之が「古今和歌集」の序文に和歌は三一音にしようと記したことによる。
文語に比べて口語は言葉が多く長い。従って、三十一音に収まりきれないのは自明の理である。従って短歌が生き残るには口語で三十一音を超えても短歌であるという意識が必要である。特に最近は、日本語の中にカタカナ文字も多く含まれる時代となった。そう考えると、これからは「口語自由律歌」は多くの人に支持されるだろう。
短歌会「未来山脈」の概要
会名 | 未来山脈 |
代表 | 光本恵子 |
活動 |
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短歌誌「未来山脈」の概要
誌名 | 未来山脈 |
代表 | 光本恵子 |
規約 | 「清規抄」
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第十五回全国口語短歌作品募集
・応募作品 口語による短歌
(定型律、自由律を問わず未発表作品)
原稿用紙に短歌二首と、住所、氏名、
年齢、性別、電話を明記
・投稿料 二首一組 一、〇〇〇円
小・中学生無料、学生五〇〇円
小為替か現金書留、または
郵便振替(00530-0-7649)作品集は三百円
・締切り 二〇一四年〔平二十六年〕 一月三十日
・送り先 〒393・0000
長野県下諏訪町郵便局 私書箱19
「口語短歌・全国大会」宛
連絡先0266‐28‐2442
・選者 水野昌雄 沖ななも 伝田幸子
梓 志乃 光本恵子
・賞 新短歌人連盟賞・下諏訪町長賞
長野日報賞、選者賞など
・表彰式 下諏訪総合文化センター
二〇一四年七月十九日(日)
講演 奥村晃作氏(飯田出身)
主催 新短歌人連盟信州
後援 下諏訪町 長野日報社