永田和宏の歌から

永田の第一歌集「メビウスの地平」(1974年刊)から短歌を挙げる。

あの胸が岬のように遠かった。畜生! いつまで俺の少年  (「あの胸が岬のように」 26)

この歌はきらめく言葉と率直な物言いが混然として男の汗臭さまで飛び散りそうな歌である。
「畜生! いつまで俺の少年」は定型律から外れているこの形は、宮崎信義の「新短歌」や塚本邦雄、岡井隆らの前衛短歌の影響もあったと思われる。「俺の少年」とは永田独自の表現だ。男の憧れは、まさしく「女の胸」。母親を幼児期に亡くした彼は母の胸を求めた少年期であった。例えば岬の燈台まで行くのに幼児の脚ではなかなか辿りつけない。女性は岬の燈台のように遠い存在だったであろう。母恋と思春期の女性を求める思いと、燃えるような情念。これらは作者の永田がまっすぐに情熱的に少年から青年へ衣をぬぎ捨て新しい衣を探し求めている成長の表れでもある。
永田和宏は一九四七年滋賀県に生まれた。四歳で実母を失っている。父の再婚した新しい母に育てられたが、やはり幼くして母を喪った喪失感は生き方を支配するほどの大きな衝撃であったことには違いない、父の後添えの母と父の間には二人の異母妹が誕生している。一九六六年、嵯峨野高校から京都大学に進み、短歌会に入部した。これが高安国世主宰の短歌誌「塔」である。
「幻想派」一号(一九六八年三月一日発行)に塚本邦雄がエッセイを寄せている。ブラットベリーの論を添えて「幻想は古い諷刺を伴った被害妄想から来ている」と説く。塚本邦雄のアイロニーの効いた論や聖書を一冊の文学書として読み味わう態度は当時の学生に大きな影響を与えた。もちろん永田も強く影響を受けた一人であった。
最後に永田のうた一首

重心を失えるものうつくしくくずれておれてきぬその海の髪  (「海の髪」 31)