エッセイ

光本惠子のエッセイ

木曽義仲をうたう

木曽義仲をうたう
光本恵子

・義仲の墓に参る徳恩寺 信州勢を一つにし北へ北へと進撃したころ偲ぶ

・木曽の山のなか探し訪ねてようやく義仲の墓 巴御前の墓

・義仲の奇襲 平家の大群は倶利伽羅谷に転げ落ち人馬谷を埋める

・白旗かかげ風雲児 五万騎率い京都の地へ一一八三年七月のこと

・信州から北陸経て都へ上りつめた木曽義仲 裏切られ数ヶ月の天下

・木曽の自然児旭将軍義仲 信濃から天下をと都までの道程

・京で天下をとった木曽義仲 山猿といわれ卑しめられても

・木曽殿に最後の戦さしてみせん 恋人巴の願い空しく義仲最期の粟津の浜

義仲は久寿一年(一一五四) 生まれ、源義賢の息子。義朝の息子の頼朝とは従兄弟関係になる。 父が一門の義平に打たれた後、木曽の中原兼遠に養われた、義仲二歳のこと。兼遠の息子の今井四郎兼平とは乳母子として育つ。義仲は北陸の倶利伽羅谷の戦で多くの平家を討ち勇んで都に上洛した。

京の都では寿永二年(一一八三)七月の義仲の上洛によって都を追われた平家が、西の国、兵庫から九州の地まで逃げ延びていた。後白河法皇の息子の高倉天皇は清盛の娘・建礼門院徳子と結婚、その間に生まれたのが安徳天皇。九州をくるくる落ちていった末に文治元年(一一八五)に壇ノ浦で入水、八歳であった。

すでに義仲は、安徳天皇入水の一年前に滋賀県で亡くなる。三十一歳という若さであった。京の都を窮した義仲は山吹を都に残し、恋人・巴には 「最後の戦に女を伴っていたといわれたらみっともない」と近江で帰す。その直後に、北陸へと落ちていく。その途中、琵琶湖畔の近江の粟津で薄氷の張るぬかるんだ砂地に足をとられ果てたのである。(この近くに義仲寺が今もある)。寿永三年 (一一八四)一月二十日のこと。

上洛してわずか五ヵ月、天下をとったとはいいがたい短い将軍であった。

詳細

三枝弓子の選ぶ歌

三枝弓子の選ぶ歌

四月号より

・「元旦」に値打ちあり 新年を寿ぐ年に一度の元旦のつきあい

大塚典子

・突然デイ廃止通告 たった一枚赤紙のように半年前総会地道にやると

河西巳恵子

・一軒家の窓ほんのりと幸せな灯 雪が舞う森のなか

桜井貴美代

・さまざまな事情抱え学び合う帰りの空に星がひとつふたつ

花 菜菜菜

・お互いの冗談も批判したり頷いたり あしたが明るい冬の夜

木村安夜子

・変わっても変わらなくても愛せたらガス燈はずっと灯り続ける

須藤ゆかり

・ガラス越しの海から泳げない私を残念そうに観る魚たち

大野良恵

・氷から水に戻ってゆく春に泥を浴びながらすべきことを する

吉田匡希

・響き合いがありいつも会いたくなる人に会いたい 生きるのが楽しくなるだろう

木下忠彦

・団欒を忘れた炬燵布団を捨てる 大寒の押し入れに残る過去

三好春冥

・温かい海暖かい風が運ぶ 列島を二分するのは山脈でなく

中村征子

・ソファーに横になって電話のコール消えるとたそがれ深める夕

西沢賢造

・とび散る草の血は青くさい切られても切られてもツンと芽を出す

東山えい子

・ストレスのかかる電話をかけている相手もストレス一票の選択

石井としえ

・箱の中にさらに箱あるさびしさよ手の平にのる辛子明太子

貝沼正子

・モーターにストーブ購入で大出費一人の暮らしせめて暖かく

佐藤靜枝

・これも冒険安心して任せられるかはやってみなければわからない

南村かおり

・はんぱない雪どけの音が耳に付きお陽様ほほえみ春近し

小田みく

・童謡唱歌を歌う明治大正昭和の歌 待ちわびていた春の讃歌

金丸恵美子

詳細

夢の発想

夢の発想

三好春冥

午年の初夢は――――。古来、縁起の良いものとして 「一富士 二鷹 三茄子」と言われてきた。対応して「四扇 五煙草 六座頭」と続く。初めて見たとき、なぜ茄子と座頭が良いのか分からなかった。後に、ツルツルで毛が(怪我)無いという洒落だと知った。私の頭も目出度くなるかと期待したが、中途半端に髪が残っていては苦笑するしかない。 (さらに…)

詳細

光本恵子の選ぶ歌

光本恵子の選ぶ歌

二月号より

・やさしさの裏にある毒針は見えない 刺されたものだけが鋭い痛みを感じる
長田惠子

・溢れそうな新雪に支えられて大天井岳の斜面を満月が転がっている
金井宏素

・年用意の記録も携帯だ君の時代は終わったと言われたようだ
木村浩

・大晦日生まれの息子 毎年たくさんの人に囲まれロウソクを一吹
佐倉玲奈

・参道に立つ影動かず行く先を汚さず歩むすべを探るか
木下海龍

・よき事も悪きこともあったけどなつかしき夫との六十年の歳月
稲垣嘉子

・時を待てそのうち気分晴れるのさ それは何時かは分からないなり
今井和裕

・雨の日の黄色も良いなイチョウ並木この町で生きてく私の明かり
川瀬すみ子

・人も死んだが熊も死んでそれで五分五分という世界かよ
毛利さち子

・K原潜アジアの海にレアアース放射線網霊長捕り込み急ピッチ
桃谷具久夫

・生バンドに若者たちの笑い声サンタンジェロに私も踊る
中西まさこ

・母の死を縁にきっぱりタバコを辞めた ニコチン欠乏苦悩今いずこ
山崎輝男

・箕面の猿も飽きたので鹿を見に久しぶりに奈良の若草山に行く
加藤邦昭

・特急に飛び乗る我を目で追って改札口で手を振る君
藤森あゆ美

・スーパームーンだったと翌朝に知って胸には寂寥の光が弾けるだけ
街川二級

・一日をふり返り空を見上げれば後悔が瞬いている
中村宣之

・引っ越してきて地植えしてみたアブチロン根をめぐらせて赤く笑う
別府直之

・水面に映る赤や黄色 水の子どもがキラキラ輝き踊り出す
森樹ひかる

・我家のプランターに植し白色の綿の花実が熟し弾けおり
鈴木那智

詳細

昭和初期の口語短歌

昭和初期の口語短歌

光本恵子

清水信歌集「朝刊」を読む

清水信歌集「朝刊」は昭和十一年(一九三六年) 三月に刊行している。

清水の歌集「黎明を行く」(大正十四年)、「新陽」 (昭和三年)、「煙突」(昭和四年)、「都市計画」(昭和七年)につづく第五歌集「朝刊」である。清水信は明治三十三年(一九〇〇年)五月十八日に奈良の大和郡山市に生まれた。大正十二年には口語歌誌「郷愁」を創刊し、早くから口語自由律を主張する。その後、印刷業をしながら「短歌建設」を創刊し「短歌科」と改名し、「作歌」と変更。このころ、清水は金子きみと東京で会っている。この昭和十一年には 「新短歌クラブ」が結成された年でもある。 (さらに…)

詳細

かつての岡谷の街

連作の効果

今、三枝弓子さん、三澤隆子さんが中心になって「岡谷」では未来山脈の短歌会がいくつかある。その岡谷の街の製糸でならしたころの面影を辿ってみよう。

製糸の町・岡谷

煙突はうたう

・無表情に突っ立つ三本のえんとつ街の変貌には冷ややか

・煙を吐かなくなって久しい煙突 製糸時代は俺の天下だった

・無用の長物と言われながら煙突は生き長らえて湖の街を見下ろす

・朝の逆光に黒い煙突 生糸紡ぎの名残りと知る人も少ない

・もくもくと吐く煙で欧米のおんなの足を包んだ絹のストッキング

・圧制の象徴でもあった赤い煉瓦の煙突 戦禍を逃れ生き残る

・青空に立って権勢を誇った煙突 老いて雀と戯れる

・赤煉瓦の煙突は胸を張り一世紀を空に立ち続ける
(光本恵子第四歌集「おんなを染めていく」から) (さらに…)

詳細

やさしいことば

最近NHKラジオから聞こえてくる「やさしいことばニュース」にわたしは感動をおぼえながら聞き入っている。

難しいことを易しく説き書くことは大変な能力だ。物それは事をよく理解していなければできない。

近頃は、簡単に、スマホが応えてくれて、判ったように思い込んでいることが多い。

実際には少しも解っていなかったとか、曖昧にわかった振りをしていたことに気づかされるのである。

生きていくことは「不思議」が増えていくことであり、特別にわたしは物覚えが悪い。ものごとを記憶するのに、理屈をつけないと憶えることができない。受験期のころからそうであった。丸暗記ができないのだ。結局時間をかけて時代背景を知るとか、理科も実験してなるほどと思わなければ脳裏に刻まれない。

ようやく納得すると後は決して忘れない。 (さらに…)

詳細

中秋の名月ってなあに

中秋の名月ってなあに

暑かった夏もおわりに近づき「中秋の名月」がられる日も近い。地球に住む私たち、特に日本人は日本人は月への思い入れが強く、古くから月のことを歌い継いできた。

  • 月の下の光さびしみ語り子のからだくるりとまはりけむかも  (島木赤彦)
  • 月に映えるすすき はかなげにしなやかに逆光に立つ  (本恵子「おんなを染めていく」

暗い夜空に神秘的に輝く月を見るのは、人間の感情に訴えるものが多いのであろう、昔から月を織り込んだ物語、詩、歌は枚挙にいとまがない。 (さらに…)

詳細

人生の伴侶 ―自由律短歌―

人生の伴侶 ―自由律短歌― 光本恵子

人生は一瞬一瞬という点を宇宙の空間にきざむ時間の連鎖である。短歌はその連鎖の断面を活字にして捉える。どこを切り選択するかが、その人の詩的な感性ということになるのだろうか。

八ヶ岳の稜線から顔をのぞかせ、朝日が昇るわずかの時間。

その宇宙の闇が割け紫の光が流れ、しだいにぼっかり口を開いた隙間から赤い血潮のような光がこぼれてくる。ステンドグラスに反射するように縦横に放射して、血潮は銀色から黄金色に変わり山から湖水まで広がった。水面はきらめいて、動く度にキラキラお喋りを始める。しばらく、その場にたたずんでいると、奮いたたせるような感動と喜びが交錯してあっという間に明るい朝がきた。闇から光に変わる瞬間に幾度遭遇するのだろう。出会うたび、人は豊かになっていくのだろうか。 (さらに…)

詳細

西村陽吉と口語短歌  ―― 長嶋茂雄選手の妻、西村亜希子さんとは

西村陽吉と口語短歌

――長嶋茂雄選手の妻、西村亜希子さんとは

光本恵子

日本のプロ野球界の長嶋茂雄が亡くなった。確かに日本のプロ野球をここまで育てたヒーローである長嶋茂雄。今回はその妻の、西村亜希子さんの祖父の話をしよう。
亜希子さんの祖父というのは口語短歌では忘れられない人である。
一九六四年、昭和三十九年、東京ではオリンピックが開かれ、そのコンパニオンとして、語学に堪能であった亜希子さんも参加し活躍。当時巨人軍の選手であった茂雄が一目ぼれ、知り合ってその年の十一月にはスピード婚約、一九六五年一月二十六日、渋谷のカトリック教会で結婚式を挙げたという。わたしは鳥取から京都の大学に進んだ年でもあった。この年から、宮崎信義の「新短歌」に入門し口語歌を始めた私は、長嶋の射止めた亜希子さんの出自を知ることとなった。
長嶋の妻となった亜希子さんの祖父は、明治末から大正昭和と、口語自由律短歌を切り開いた人たちの一人である西村陽吉。 (さらに…)

詳細

次ページへ »