エッセイ
光本惠子のエッセイ
前田夕暮の「詩歌」は定型律から口語歌へ
- 2025年6月30日
- エッセイ
前田夕暮の「詩歌」は定型律から口語歌へ
昭和四年(一九二九年)十一月二十九日、四人の歌人は、朝日新聞の飛行機に乗った。土岐善麿、斎藤茂吉、吉植庄亮、前田夕暮の四人は東京上空を飛び、空中競詠を試みる。その衝撃は今までの文語定型では表しきれるものではなかった。その折の短歌を、「四歌人空の競詠」として発表したのである。
・いきなり窓へ太陽が飛び込む、銀翼の左から下から右から
(土岐善麿)
・一瞬一瞬ひろがる展望の正面から迫る富士の雪の弾力だ
(土岐善麿)
このときから、善麿は口語自由律短歌に変わっていくのである。
・自然がずんずん体の中を通過する。山、山、山!
(前田夕暮)
前田夕暮の短歌は植物や小さな生物、子供に対して骨太なやさしさが感じられる。『原生林』までは定型短歌が多いが、昭和四年以降は口語で自由律短歌。
次の歌集『水源地帯』(昭和七年刊・白日社)からは口語自由律短歌になっている。
・夜、眠ろうとする私の旅愁のなか ― 奥入瀬が青くながれはじめる
・あけつぱなしの手は寂しくてならぬ。青空よ、染み込め
(前田夕暮「水源地帯」)
この日以来、前田夕暮は、短歌の形にも今までの形にこだわらぬ、もやもやしていた気分を一掃して、文語定型(五七五七七)の世界から脱出を計るのである。
結社誌「詩歌」の会員を率いて文語定型から口語自由律と代わっていった。
宮崎信義は、彦根中学時代に平井乙麿の勧めで短歌一五首を作成。昭和六年には横浜専門学校に進み、前田夕暮の主宰する白日社「詩歌」へ入社。「詩歌」十二月号には
・九月の朝の太陽が生きることの歓びを味合わせて黒光りにみがかれた靴
(宮崎信義十八歳の歌)
矢代東村の選で初めて作品五首が載った。
大正時代(一九一○年代)のころすでに口語自由律歌の挑戦が始まっていた
- 2025年5月29日
- エッセイ
大正時代(一九一○年代)のころすでに口語自由律歌の挑戦が始まっていた
光本恵子
口語化への試作の時代
土岐善麿は早稲田時代、島村抱月に師事した。美学の専門でドイツ、イギリス留学から帰国したばかりの自由な思想を持つ教授であった抱月に学んだ土岐善麿と同窓の北原白秋、若山牧水は、抱月から自然主義を学びその影響を受けているといわれている。坪内逍遥に次期総長と期待された島村抱月は、結局、松井須磨子と愛の果てに若くして病死し、大学の期待には添えなかったが、演劇界に一矢を放っただけでなく、多くのロマンを持った弟子を育てたといえよう。 (さらに…)
光本恵子の選ぶ歌
- 2025年4月29日
- エッセイ
・少子化や高齢化で働き手は減るばかり 社会の軋があちこちに
木下忠彦
・幼い頃の悪夢がこれだ 暗黒に自分のカラダがひろがってゆく
小坂泰夫
・きれいね きれいよ 白髪がとMさん がくん欅の葉ざんざ時雨れる
河西巳恵子
・限界集落の山村でお札を配る 心が洗われる思いする
岩下善啓
・「子供を誘拐した。身代金を送金して」心を乱す邪悪な詐欺メール
大野良恵
・半ペンの煮つけを肴に一杯の酒ああ身体に染みるぜ外は粉雪
市川光男
・朝日に喪中葉書を出し終えて師走の心一つ鎮まる
貝沼正子
・自動車で若狭街道突っ走る 広がる稲株ひつじ田一つ
川嶋和雄
・筆ペン教室の手本書き外せない辞書 私の学びの時間
角田次代
・夫の後追い歩調合わす寒い朝 霜柱ガサゴソ坂道つづく
桜井貴美代
・伴侶を亡くし涙する旧友ここにも前に進めない人がいる
佐藤靜枝
・暮らしという大河の一滴を歌うブルーインクで描く明けの海
須藤ゆかり
・天井のクモが蠅を待つように私も何かを待つ 床に転がりながら
酒本国武
・三月生まれの女性は気まぐれ 誕生日は選択できず 彼女は三月生まれ
清水哲
・大筆の大きな一の字を書いた様な雲浮かんでる今日のそら
鈴木那智
・十二支かるたで婆婆ぬき十二支に入れなかった鼠に負けた猫が婆婆
中田多勢子
・何かにつまづいて苦境に落ちるほんの一寸した油断が深みにはまる
近山紘
・坂の所で乗車人数が多いと進まなくなり皆が降りて進めたという
安田和子
・雑煮餅思い切り長く伸ばして口に入れ私の今年の事始め
高木邑子
大船渡市赤崎の山火事
- 2025年3月31日
- エッセイ
「あかさき」という町名に触れて
―――大船渡市の山林火災の影響で十八棟の住宅が全壊した赤崎町地区では、避難指示解除から一夜明けた三月十一日午前六時すぎに雲の隙間から朝日が昇りあたりを照らし出して・・・よかった、やっと鎮火した。
岩手県大船渡市の山火事がようやく鎮火した。 (さらに…)
光本恵子の選ぶ歌
- 2025年2月27日
- エッセイ
光本恵子の選ぶ歌
・ねばならない」が窮屈です 昨日も今日もまばたき止まらない
木村安夜子
・乗り越えなければならぬ壁が次から次とよくもまー
大塚典子
・五年ぶりの金沢 金沢は金沢だった 変わったのは私
岸本和子
・足が届かぬ鎖場で見知らぬ男性が差し伸べてくれた大きな手のひら
大内美智子
・四歳のお兄ちゃんの世話を焼き面倒を見る生まれてまだ三年なのに
宮坂夏枝
・古都デルファイ神殿あとの風にきく「汝自身を知れ、イリアスよ」
中西まさこ
・またどっかでねと言うた人期待せんと続きのコーヒー
芦田文代
・郵便受けにきみのことばが満ちる 柚子が描かれた絵ハガキ
中村宣之
・モダンな気品さの装い初の蝶浅葱斑 まさかの現実に目をみはる
三澤隆子
・師走の声を聞けば思いを馳せる愛隣地区の路上に暮らす男らの事
高木邑子
・或る愛にめざめし時より幸が運河の木屑とながれてゆく
上平正一
・重苦しい大気が少しずつ抜けて空が高くなったええ風や
三好春冥
・皆生温泉で同僚に再会した父 研修所教官時代の父を初めて知る
杉原真理子
・色づいた葉をカサコソと木枯しが運ぶ「おはよう」と今日が始まる
金丸恵美子
・刺すような木枯らしの冷たさにカラマツは音立てて降ってくる
征矢雅子
私はななんでもポイポイ捨てる妻が羨ましい 私はなんでも残すが役に立たない
加藤邦昭
・寒いねと甘えられては嬉しくて優しい気持ちコートの中で
今井和裕
・白い翼を翻弄される鳥になりアイスバーグは木枯らしのなか
笠原真由美
・落葉松林が沸騰して 北風小僧が金針を吹きこぼしてゆく
金井宏素
現代歌人協会賞を受賞した足立公平『飛行絵本』
- 2025年1月31日
- エッセイ
足立公平歌集「飛行絵本」
・自己につながる時間を切断する 泡だち崩れ異常な水の染まりよう
・経済の問題のため お前を否定しようとしたか、おれの血のつぶやき
・叫ぼうとしたか知れない おれの記憶のまだ目もあかない幼い日のように
(「異常な水」から)
宮崎信義の最期
- 2024年12月31日
- エッセイ
宮崎信義の絶筆
・いつまで生きていられるか手足を広げて日光浴だ
・生きるのも死ぬのももうお任せだ神さま仏様でお決めください
・生きていようが死んでいようがどちらでもよくなったよいお天気だ
・自然はすべてを引き受けてくれるそのままに何事もなかったように
・ふるさとの自然に還る ―― それが何より 生まれ育ったところなのだ
(未来山脈二〇〇九年一月号)
「未来山脈」代表であった宮崎信義が亡くなったのは二〇〇九年一月二日午後一時四十八分。食道癌のため自宅で炬燵の前で食事をしたまま逝去。九十六歳六か月の人生。
思えば宮崎は亡くなる前に第十二歌集『右手左手」を遺した。短歌研究社刊、平成十九年(二〇〇七年) 一月二十七日発行。
亡くなる二年前である。宮崎九十四歳の歌である。
・死を終点とするか過程とみるかそんなことどうでもよいか
・あとひと月で九十四になる一本の道だけが残っている
・うっふと笑ってみたまえ収穫どきの葡萄がおち
・もうどうなってもかまわぬとは思わない半歩でも一歩でも前に出たい
・五十五までは登り坂自信も大事それからがまた登り坂
最期のうた「煙」
・青い情脈が目立つ腕だ私の体どこから燃えだす
・杖は家に忘れてきたかこれからはあの世への道中になある
・炎が全身に廻ったその中でまだ顔だけが浮いて見える
・うすい煙が煙突から上がりだした私が焼かれている
(第十二歌集・右手左手)
光本恵子の選ぶ歌 十一月号より
- 2024年11月29日
- エッセイ
・猫じゃらしで少年が遊ぶ 心を救う詩の一つでも多い世の中であれ
街川二級
・柔道の阿部詩選手は不覚取る マット離れて泣く声は金
川嶋和雄
・朝早くから夕方まで学童で過ごす子供たち 手作り弁当で心を抱く
金丸恵美子
・暑いと床に転がっている事が多くなった飼い犬 俺も似てきた
酒本国武
・義父母の介護は六十代 米寿となり夫の介護に耐えているわたし
藤森静代
・ヨーロッパで生きる日本女性 日本は環境よりも目先のことばかりと
木下忠彦
・猛暑の中でぐんぐん伸びる畑の草私も欲しいそのエネルギー
佐藤靜枝
・猛暑の中で凛と立つ華奢な高砂ユリに思わず背筋が伸びる
角田次代
・小雨が降っては止んで 休日の雨の切れ間にサックス響く
片倉嘉子
・何の花ですかと鈴なりの鬼灯を見て若い職員嬉しいなこの感覚
高木邑子
・新盆見舞いに来てくれた従兄弟長いこと会わなかったら歳をとった
中田多勢子
・新しく移ったリハビリ病院 スタッフの笑い声ころころと響く
横内静子
・上物ですと時計屋が言う 三十年前に娘から貰った腕時計
三枝弓子
・雷鳴と共にタンゴのリズム奏でる葉加瀬太郎
桜井貴美代
・大輪の向日葵のぞきこむ 幾何学的に並ぶ小さな種
太田則子
・標高一五〇〇米の上高地 大正池から河童橋までの四キロをハイキング
安田和子
・理不尽は呑み込むのだと草笛光子さん 白髪が美しい
河西巳恵子
・素敵な靴を買いました一目惚れの布製の虹いろスニーカー
毛利さち子
・お悔みに身につけていた黒真珠ネックレス あれ 無い どこ
宮原志津子