元号 令和について

新しい元号が「令和」と命名された。
これは日本最古の和歌集「万葉集」からとられた。改めて「万葉集」から「令和」の出典を確認しておきたいと思う。

次の書物を参考にして述べてゆく
澤瀉久孝、佐伯梅友の共著「新校萬葉集」(創元社刊・昭和24年初版)。この書物は、もっとも古い「萬葉集」の原本に近いのであり、すべて、漢字で記されている。この万葉集に記される漢字を万葉仮名という。

梅花歌三十二首序
天平二年正月十三日。萃于師老之宅。申宴会也。于時初春例月。気淑風和。梅披鏡前之粉。蘭薫珮後之香。加以曙嶺移雲。…
と万葉仮名の序文がつづく。

―訳・奈良時代の盛りの天平二年(730)二月の十三日、ある老師(大伴旅人か)の邸に集まり、夕べの梅の花の宴の中で和歌を詠む。煌々と気高く冴えた月は照らし、やわらかな風が周りを包んで和やかであることよ。梅は鏡の前の粉を披く女性の美しさを歌い、蘭の花は背後の香りをくゆらす ―云々とつづく

そのあとに、「梅の花」の歌が三十二首続くのである。

「萬葉集」は二十巻からなるが、その第五巻に「梅花歌三十二首序」があり、その後、三十二首の梅の歌が続く。
この宴会は福岡県の太宰府の旅人の邸で行われた。大伴旅人は、官僚を自宅に招いて梅の花見の宴を開いたときの歌である。大伴旅人は今でいう知事のような役目で都のあった奈良から太宰府に派遣されていた。昨年妻を亡くして寂しい中で宴を開いたのであろう。菅原道真よりも先に福岡県の太宰府にいたのであった。
この万葉集にこの後、五十年ほど後に、万葉仮名から、漢字を基に崩したり部首を使ったりして「ひらがな」「かたかな」が出来上がるのは、京都に移る平安時代に入ってからである。

さて、今年四月一日に、政府の中から菅官房長官が新元号「令和」を発表。私はテレビを見て知ったが、新元号は、号外も出て、国中にたちまち広がった。現在の報道媒体の力はすごい。最初に感じた私のイメージは
―全体の音の響きに・レイワには現代的なスマートさを感じる。が、「令」の文字に上から下にと、冷やかさのイメージを持った。しかし「和」が土台で優しく微笑んで支えているようにも感じた。改めて「万葉集」の出典を眼にして、その美しさと気高さ、和らぐ風の意味を知り、納得し安堵したのであった。「令和」のじだいもよき日々の続くことを願う。