沈黙

学生時代、遠藤周作の作品は本が出るたびに読み、あるときは長崎の大浦天主堂まで出かけて行った。
この度、遠藤周作の「沈黙」がアメリカ人の監督マーティン・シコッセシによって制作された。
今でも、古い寺の墓地に行くと見ることがある隠れキリシタンの墓。一見、観音様のような姿をしたマリア像。よくよく見ると、マリアを観音様に仕立てた、隠れキリシタンの墓地である。愛知県でも長野県の寺でも私は見た。
時代は江戸時代前後の十六世紀の末から十七世紀の初期の話である。日本に鉄砲や火縄銃が入ってきたころのこと。
キリスト教の布教を許した信長から秀吉、家康と禁止の時代へ入っていく。
中世から近世にかけて、ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリスなどはアメリカをはじめとして、南アメリカやアジアの各地域を占領した。始まりは宣教師の名の許だった。
信長の時代、イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルは戦国時代の日本をよく理解し、まず各地の戦国大名たちに領内での布教の許可を求め大名にも布教を行った。スペイン、オランダなどが、アジアを占領している実態を知った秀吉は、キリスト教を禁止する。さらに、家康は一六三九年にはキリスト教禁止を発表している。
イエス像の銅板を踏むか踏まないか、踏まない者は、キリスト者とみなされ菰にくるまれ海に流され、逆さ吊りされ火あぶりの刑に拷問に処せられた。その惨い姿を映像はあぶりだす。
イエズス会において最高の地位にいた神父、フェレイラが布教のために訪れた日本で過酷な拷問を受け、棄教したという知らせが届いたローマ。弟子である若き宣教師ロドリゴは真相を探ろうと日本行を決行し船に乗る。まずマカオにつく、ここで気弱な日本人、キチジローの案内で日本の長崎天草まで辿りつく。
現在中国領となったマカオであるが、(一九九九年にポルトガルから返還)まだポルトガル領だった頃、私はこの街を旅した。ポルトガル人の建てた煤けた洞窟のような家で麻雀を囲む老人がよろよろ歩く纏足姿が見えた。

さて、そのキチジローの密告によって奉行所に囚われてしまった宣教師、ロドリゴは様々な拷問に遭う。「こんなに苦しむ姿を神は見ながら、なぜ黙っておられるのですか」と呼びかける。ついに彼自身、転びの者として、徳川幕府の下で日本名を与えられ、通事役(通訳などの仕事をする)になった。
エンドウは自身が時には卑怯なキチジローであり、ときには、ロドリゴのような転びの者として人としての悲しみを追及する。「私は命が助かるなら、棄教するだろうと踏絵を踏む」。心張り裂ける思いで映画を観賞する。あの拷問を思うとわたしは生き抜かねばならぬと思うのである。