スイスの首都ベルンの熊公園―アインシュタインと石原純

2018年7月14日、スイスのベルンに足を踏み入れた時からその落ち着いた街の空気に魅せられている夕方、ボンボンと大きな音がしてからくり時計の中から熊が現れた。午後八時の知らせである。からくり時計が建造されたのが十三世紀というから驚き。時計の中から現れた熊のキャラクターは、十七世紀に付け足された。毎時間、鐘が鳴るたびに熊が現れ、街行く人を和ませてくれる。夜の十時まで明るいのだ。ヨーロッパの夏時間は冬より一時間遅く設定されてる。
中世の時計台に圧倒され続けていた私にさらに頭を殴られたような感動に嵌まったのは、熊公園のアインシュタイン(1879-1955年)の銅像に触れたとき。
次の歌は石原純がスイスで初めてアインシュタインに会った時の心騒ぐ石原の短歌、それはまるで恋人に会ったような嬉しさにあふれている。

・名に慕へる相対論の創始者にわれいま見ゆる。こころうれしみ。

・われの手をひたすらにとりてもの言へる。偉いなるひとを。まのあたり見る。

・世を絶えてあり得ぬひとにいま逢ひてうれしき思ひ湧くも。ひたすら。
※和田耕作「石原純」―科学と短歌と人生(株ナテック刊)から―

石原純は1906年 東京帝国大学卒業後、東北大学助教授時代、アインシュタインのもとで学んだ。1922年には、日本を訪ねたアインシュタインの来日公演の通訳をし、日本に相対性理論を紹介。歌人としては、一高時代にアララギの発刊に参加。原阿佐緒と恋愛事件を起こし大学を辞職。1924年、白秋、前田夕暮、釈迢空らの創刊した歌誌「日光」に参加。自由律短歌の理論的推進者となり、昭和初期に「短歌創造」誌を花岡謙治、川窪艸太らと創刊。1931年には諏訪の片倉館の創設時、口語短歌大会を開いている。歌集「靉日」あり。1947年事故死。66歳。

アインシュタインの晩年の顔をイメージしているのは漫画「鉄腕アトム」のお茶の水博士の顔。手塚治虫時代の科学者と言えばノーベル賞のアインシュタインだった。私の子供時代もそうだったように。