永田和宏の歌2
- 2019年4月1日
- エッセイ
※永田和宏第三歌集「無限軌道」(1981年11月20日、雁書館刊)から
「無限軌道」は大体1977~1981年の永田和宏の作品である。それは三十歳から三十四歳の作品であり、貧しかったが将来への希望に満ちて充実していたころだ。当時80年にはモスクワでオリンピックが開催されている。そのハンマーを投げる男の姿に自分を透視したような歌が見える。
・ハンマー投げの男おのれを軸としてまわるよ中心なる孤独はや (落下点)
・落下点を目測しつつ立つときに不意に死までの<時>透けて見ゆ (落下点)
ハンマーは、ワイヤーの先に砲丸がついていて重さは、男子は七キロもあり、それを廻して投げ飛ばす競技。その砲丸をもって立つ男もろとも飛ばされそうだ。決死の覚悟であろう。その中心にいる男の孤独といったら。その投げる男はまさに自分だと詠っているようだ。運悪ければ自身も飛ばされ、あるいは運悪ければ頭の上にその砲丸が落ちて来るやもしれぬ。そのぎりぎりのところで永田も生きているという意識であろう。
次の歌は、筆者も含めて安保の後の学生時代、歌壇を牛耳る一つの派として「未来」の塚本邦雄や岡井隆がいた。ほかに寺山修司など前衛短歌の旗手でもあった彼らを意識している。特に次の歌は岡井隆との関係を意識した歌である。
1977年には京都で「現代短歌シンポジューム」が開かれ、一日目は、梅原猛と塚本邦雄の公演。二日目の夜には、岡井隆、伊藤一彦、三枝昴之の三氏が、永田と河野裕子の家に泊まったとある。自宅に留めるほどの仲となった三氏。ともかく永田は塚本から岡井へと影響を受けて育ったといってよい。
・彼がなぜおれの尺度だこんなにも夕日がゆがむフラスコの首 (さよなら三角)
・さよなら三角また来て四角敷島の岡井隆を医師とし見れば (さよなら三角)
「彼」とはキリンの首か。いや岡井のことであろう。尺度とは物の長さを測る道具。ものさしのことだ。1928年生まれの岡井の齢の差十九歳下の永田の前を歩いていた、追い付け追い越しの気分であったであろう。それだけ意識下にあった。「フラスコの首」は永田の物理学者らしさ。実験に使う道具とか用語を頻繁に使うのも永田の短歌の特徴であるが、これはこれで人の感情を抑える力になっている。