いのちと償い ~ある死刑囚と短歌~ (信濃毎日新聞より)
2018年7月から2019年3月まで、信濃毎日新聞の文化面にて連載されていた企画「いのちと償い―ある死刑囚と短歌」(計22回)に、新聞読者から多くの感想や意見が寄せられ、その内容が紙面にて紹介されました。獄中で命と罪に向き合った岡下香・元死刑囚の生き方や、彼と関わった人たちの思い、短歌や芸術の役割についての感想を中心にまとめられたものを転載いたします。
なお、連載されていた企画「いのちと償い―ある死刑囚と短歌」についても、一部当Webサイトで紹介しております。
読者の反響
救われていく姿に救われた
殺人を犯して死刑判決を受けた人が、短歌を求め、光本先生と出会い、救われていく姿に、私も救われていました。許されない過ちをして自分も苦しんだけれども、またそうだったからこそ、大切なことに気づいた。そんな人生に光を感じる思いです。
岡下さんの子どもさんの、お父さんへの思いも知ることができました。一緒に生活していた時、殺人を犯すまでは“いいお父さん”だったんだなあと思いました。
一方、被害者のご家族のお気持ちも知ることができました。許せない思いを抱え、苦しみの中にいらっしゃること には、そうだよね、と思います。背負うことになってしま った悲しみの重みはどれほど のものか。それはとても重いものです。加害者への憎しみ、恨み…。この思いを許しに転換し、暗い心に光を取り戻すことは、どれほど困難なことであろうか。
できることなら、いつか被 害者のご家族も「光の心」を取り戻していただけることを、心より願います。
(井出厚子・60歳・佐久市)
人間の心を回復させる短歌
自らの原点を見つめ、人間の心を回復させる、短歌の宗教的ともいえる力を再認識させる連載だった。
罪人をも見捨てぬ歌誌主宰者の人間観、口語自由律歌の思いがけない人間改俊の働きに敬意を覚える。短歌には「本音を吐き出し自らを裁き、償いの心を芽生えさせ」「優しい言葉が人を変える」という教諭 (教戒) , の作用があると感じた。
岡下元死刑囚が書いた遺書のしっかりした文字遣い、残された数多くの短歌に込められた真摯な生命の尊厳、犯した罪への埋め合わせの思い、優れた経営手腕が、今となっては惜しまれる。
金、だまし合い、紛争…?悲しい人間の性が何とかならないかという思いもある。年代から戦 争の影もうかがえた。
岡下元死刑囚は小学生の時、友達に宿題を教えて、なぜか教 師からビンタをされたという。そのビンタ自体が問題だし、叱 責された経過が悔やまれる。幼少期の貧困の先に光明が見いだせる助力があったなら…と思う。子どもに加わる耐え難い重 圧には、社会的・制度的な救済が施されるべきだろう。
(堀進・82歳・木曽郡南木曽町)
善と悪どちらも生命の源
死刑囚に罰を、との気持ちと共に、光本さんの「死刑囚のような人をも、魂を持った人間として見ていこう」という意思の強さをどう考えようかと、複雑な思いで記事を読みました。
私は、短歌に関してはもちろんですが、岡下元死刑囚が描いた絵「司法界のバラ」(2018年7月4日付、4回目に掲載)に目が留まりました。
植木鉢に1本のバラが植わっていて、花は開き終えようとしている。よく見ると、バラに生命を与える根の中に1匹の蛇がいる。善蛇にも悪蛇にも見える。善と悪のどちらも、生命の源だということだ ろうか。横には1人の看守が いて、良きにも悪しきにも変 わる死刑囚の気持ちを見ている。自戒の念も感じる。
右下には植木鉢のかけららしき物が置かれている。 重大 な罪を犯した自分は復元不可 能でも、無駄に捨てたくないということか。
全体に人生のアンバランスや、去らせてしまった命と残 されている命を示していると思いました。
(荒井利子・68歳・長野市)
どこで人生を狂わせてしまったのか
岡下香さんのような頭のいい人が、どうしてこんなひどいことをしてしまったのか。どこで人生を狂わせてしまったのか。
獄中、自分の罪を反省し後悔しつつ、何とか自分の気持ちを落ち着かせようとした、その気持ちが光本恵子先生に伝わり、すてきな短歌を作ったのだと思います。
「後悔先に立たず」という言葉がありますが、その時はカーッとなっても、罪を犯すようなことはしてはいけないと思います。たった一つの 命ですから。私は歌を作ったことも、作り方も 知りませんが、岡下さんの歌は心に りました。
(田中まさ・81歳・長野市)
「いのちと償い」あらすじ 獄中で短歌に取り組んだ死刑囚
連載の第1~3部 (計15回)は、殺人の罪で死刑となり、獄中で短歌に取り組んだ岡下香の生涯と、家族や支援者など関わった人たちの思いをたどった。
岡下は1946(昭和21)年、広島県生まれ。バブル全盛の89年、東京・杉並区で土地を不正に転売して、2億円余りをだまし取った。土地所有者の高齢女性と、仲間の男が遺体で見つかった。岡下は約6年間の逃亡を経て逮捕され、2人を殺害したとして05年3月、死刑判決が確定した。08年4月、61歳の時に刑が執行された。
岡下が獄中から手紙を出して師事したのは、短歌誌「未来山脈」を主宰する歌人、光本恵子=諏訪郡下諏訪町=だった。岡下は短歌作りに没頭する中で、命の尊さや罪の重さに気づいていった。歌集「終わりの始まり」も刊行した。
岡下と獄中結婚した妻や長男は、死刑が確定しても岡下を見捨てなかった。死刑反対運動に取り組む男性や、キリスト教のシスターらも岡下を支えた。死刑執行後、光本の元には岡下から感謝の思いをつづった遺書が 届いた。一方、岡下に弟を殺害された男性は、執行から10年以 上過ぎた今も怒りは収まらない。
第4部 (計7回)は歌人、元刑務官、弁護士、映画監督らへのインタビュー。 死刑制度を巡るさまざまな論点を紹介した。(敬称略)
信濃毎日新聞(2019年4月16日火曜日)より転載