石塚多恵子歌集から学ぶ佐渡のこと
- 2020年2月4日
- エッセイ
今回は石塚多恵子歌集『篝火』について記したい。この歌集は新潟の歌人クラブで入賞した歌集である。選に入った理由をのべるために、11月24日には、新潟市に行ってきた。
石塚多恵子歌集『篝火(かがりび)』より。
・薪能の篝火さかる大膳社くらがりは野の奥にひろがる
・北前船泊てし宿根木潤の岩に船つなぎたる石柱いくつ
・金山の名残の官舎廃屋となりてなづさふ京町の坂
・鳥追ひの唄に追はれて来しといふ朱鷺は滅びゆく吾が住む佐渡に
・凍る海へ落ちゆく赤き日論に光る涅槃図見しはまぼろし
作者の石塚さんは、佐渡にうまれ、住みついていて七十歳を越した方である。佐渡の隅々をご存じでそれだけでわたしは素敵な女性だと思ってしまう。実際うたも上手い。
佐渡は私には魅力的な島に映る。
上代から近世まで、政治的に時の権力者と合わなければ島流しの時代。万葉時代には歌人の穂積朝臣老、鎌倉時代には承久の乱で敗れた順徳上皇、他教を批判した日蓮聖人。室町時代には将軍の怒りを買った能楽の世阿弥など。佐渡はことばも、関西訛りと言われるのは京の都から幾人も流されているからだ。そもそも気候も新潟より二度三度暖かく、暖流も寒流もさまざまな魚がとれて、住みやすい処と聞く。
私が訪れたときも能舞台をいくつも見て感動した。いま「風姿花伝」を読んでいるがその作者の世阿弥も流された。現在能舞台が日本一多いのも頷ける。
江戸時代に入ると日本一金の採れる山と言われた「金山」で賑わった。また佐渡はオレンジの羽根の朱鷺でいろいろ騒がせている。現在では佐渡本来の朱鷺は絶滅とか。いま中国産の朱鷺が日本で増えて400羽とかきいた。
石塚さんの歌はいろいろな角度から佐渡の実情を知ることのでき、わたしは読み説くだけで嬉しい歌集であった。