歌壇グラビアから未来山脈の今昔
歌壇グラビアから未来山脈の今昔
光本恵子
写真を見ながら口語短歌の話をしよう。
- 2002年(平成14年)大阪で「新短歌」会の模様。小野菊恵追悼、光本恵子著『金子きみ伝』と浅野英治歌集の出版記念会。参加者は井口文子、福田廣宣、宮崎信義、金子きみ、浅野英治、毛利さち子、金子の息子・庄司雅昭、木村安夜子、光本恵子など
- 1988年(昭和63年)2月、光本恵子第一歌集『薄氷』にて新短歌賞と新短歌人連盟賞を授与され、新短歌の会が長野県岡谷市マリオにて開かれた。この時、光本恵子の家族、夫の垣内敏広と娘2人で四楽四重奏ヴィバルディ「四季」を演奏する。
- 2003年(平成15年)2月8日、宮崎信義の卒寿と歌集『千年』を祝って「未来山脈」の会を下諏訪・山王閣にて行う。宮崎は90歳。鳥海昭子、山崎雪子、西村恭子、中川菊治、水野昌雄、金子きみ、伝田幸子、梓志乃、山村泰彦、井口文子ら80名の参加。
- 2004年(平成16年)7月10日、「新短歌」55周年、「未来山脈」15周年記念の会。「新短歌」と「未来山脈」の合併初めての会。岡谷マリオにて行う。参列者・伊藤桂一、小西久二郎、酒井佐忠、鈴木諄三、栗明純生、水木春房らなど。この年は「未来山脈」が日本短歌雑誌連盟より『優良短歌雑誌』として表彰。
2005年(平成17年)4月29日、宮崎信義は93歳で日本短歌雑誌連盟の第1回特別賞に決まり、東京駅に迎えに行くと、宮崎は新幹線を降りて「これが私の最後のこの世への置き土産だろうか」と語った。2年後の平成19年1月2日に宮崎信義はあの世へ旅立った。それからの光本の口語短歌への道は険しく楽しく、まあ、ゆっくりマイペースで今まで通りやってゆこうと思う。