スペイン風邪と松井須磨子 

『カチューシャの唄』  (抱月作詞・中山晋平作曲)

  • カチューシャかわいや わかれのつらさせめて淡雪 とけぬ間と神に願いを(ララ)かけましょうか
  • カチューシャかわいや わかれのつらさ今宵ひと夜に 降る雪のあすは野山の(ララ)路かくせ
  • カチューシャかわいや わかれのつらさせめて又逢う それまでは同じ姿で(ララ)いてたもれ
  • カチューシャかわいや わかれのつらさつらいわかれの 涙のひまに風は野を吹く(ララ)日はくれる
  • カチューシャかわいや わかれのつらさひろい野原を とぼとぼと独り出て行く(ララ)あすの旅

新型コロナウイルスが世界中吹き荒れている。歴史を思い起こせば、1918年(大正七7年)、第一次世界大戦のとき、スペイン風邪が発生。世界的に大流行して5000万人も亡くなったとも言われている。当時、日本でも早稲田の教授であった松江出身の島村抱月の翻訳劇「復活」を演じた長野県松代出身の松井須磨子もこの風邪にやられた。結局、大正7年の11月5日、このスペイン風邪に感染して抱月は帰らぬ人となる。須磨子は2ヶ月後の1月5日、芸術座の梁に着物の帯をかけて自殺する。芸術座の「復活」は444回も公演されたという。

須磨子は「復活」の劇中で上の歌「カチューシャの唄」を歌った。

 

短歌は何処でも作れる。家でもできる。でもその材料は見たり聞いたり人に会っての喜怒哀楽が材料であることが多い。外へ郷に出かけて空を見あげる。雲の様子、茜色になった西空、夜空には金星が輝いている。ところが新型コロナ発生で孫にも会えない。様々な会は中止となり、短歌の仲間にも会えない。志村けんさんが笑わせてくれたあの頃が懐かしい。もう誰も笑わなくなった。

数年前にイタリアで、トランクのカギをなくして鍵を求めて地下鉄に乗り、小さな町で人々に鍵屋さんを聞いて歩いた。大声で身振り手ぶり、よく喋り町の様子を案内してくれた陽気なイタリア人。そのイタリアがコロナウイルスで蔓延しているという。コロナは人間らしさの敵だ。その敵の顔が見えない。ここは我慢のしどころ。私たちは試練に強い。