科学と短歌――シュールなうた――

関西の永田和宏や、関東の坂井修一は科学者であり歌人である。

文学といえども、科学的とまで言わずとも、合理的か、理屈に合っているかは歌つくりには大切なことである。

短歌の中で、飛躍として、ことばと言葉の間に時間的空間とか、変化を求める、読み手の空想を駆り立てるなどの短歌手法を使うことがある。シュールな歌ともいえよう。そこには様々の想像を掻き立てる深さと面白さがある。宮崎信義と永田和宏の歌を見ていく。

 

1・九月の海岸 しろい球の影で 私は手を挙げながら石膏になろう

(宮崎信義・第一歌集『流域』)

2・風が吹くと松はとてもさびしい 地の底に微かに燃える炎がある

(宮崎信義・第一歌集『流域』)

3・白いボールを叩き込むと七月の女たちは鳥になってどっと飛び立つ

(宮崎信義第五歌集『和風土』)

4・気化熱というやさしさに包まれて驟雨ののちを森ははなやぐ

(永田和宏第二歌集『黄金分割』(麒麟抄)

5・ダリのキリンのネクタイをして現れしこの青年は息子でもある

(永田和宏歌集『百万遍界隈』(祐天寺)

 

1の歌 宮崎22歳の作、このころ自分の精神性をできるだけ緻密に描くにはどうすればよいか、明るい日差しの中、直線と曲線、自然と人工美などをイタリアの画家キリコをおもわせるシュールな手法でみずみずしさ、若さを表現した。

2の歌 宮崎は学生時代、神奈川県の海の見えるところに下宿。この裏に大きな松の木があった。松を眺めていると彦根城のお堀端の松が思い出される。故郷に残してきた母、教師の母の仕送りでこうして都会で学んでいる。松を眺めているとなにかふつふつと勇気が湧いてくるのであった。

4の歌 京都には古くから、京都市動物園が岡崎公園の中に在る。1960年代ごろの京都の学生のデート場所は決まって動物園か植物園だった。永田はのっぽの麒麟に似ている。学生時代からひょろりと背が高く、キリンのように痩せていた。これらの短歌を詠んだ頃は、河野裕子にプロポーズをしたころか、あれから結婚し、二人の子の父となった。

5の歌 歌集『黄金分割』を出版する少し前に生まれた長男・淳が30歳を過ぎて、一人前の男になり、ダリのキリンのネクタイをして父の前に現れたのである。