短歌の作り方 具体と抽象 言葉の選択

短歌を作る場合、歌にしようとする対象を、物や人の動きをよく観察して、自分の感情は抑え、出来るだけ客観的にものを見つめることを大事にしようとする詠み方がある。他方、自分の気持ちや心の動きを考え、常識とはかけ離れて自分の心の動きを一番に、自分の感じた心のうちや思いを大切にする。自分独自の表現―これを抽象的、あるいは心象風景ともいえる。しかし現実のうたは具象と抽象は互いに相よりそい混然として一首となす、具現と抽象入り混じっている場合がおおい。ともかく、口語自由律短歌は、誰にもわかる言葉で、そこには「詩的」精神があり、無駄な言葉はそぎ落とし、冗漫にならないようにしたい。たとえば、枯葉や木の実、干し柿などの歌に、さらに、最後の締めくくりに「秋の空」とする。これでは季節も興ざめである。

・時の政権の意図よりも学問を上におきたい「学問のすゝめ」の心
(木下忠彦「未来山脈」十二月号)

・本当は密で死んだんじゃないの 恐竜 満月のコロナ禍この妄想
(川瀬すみ子「未来山脈」十二月号)

・道は一つなのだから埃を吸おうが雨が降ろうがまっすぐに行く
(宮崎信義歌集「千年」)

・タクシーで豆腐を買いに来る女(ひと)がいるどこで何をしているのか
(宮崎信義歌集「千年」)

・道をあつめ 峰はいつか群れになり 転々と地を飢ゑてゆく春
(宮崎信義歌集「流域」)

・洋傘をあげて空を見る ぐっと支えている松のような手の向こうの煙突
(宮崎信義歌集「交差路」)

・永遠とは青空のようなもの夜空のようなものと梯子を上る
(宮崎信義歌集「和風土」)

・前をゆく時間 ―― 魔物の背なか 追いつけ追いつけひとりの枯野
(加藤克己歌集「球体」)