自由律短歌の音数
- 2021年4月1日
- エッセイ
定型の枠を外した自由律短歌ではあるが、三十一音の定型の律は常に念頭に置きたい。それは我々が作っているのは俳句でも詩でもなく短歌であるからだ。そこでここでは音数について語る。
それは歌のボリューム、厚さ幅といってもよい。短歌が内に持つ定量、適量というものがある。それは音数で言えば二十七音から、長くとも三十八音程度ということになろうか。この中に作者の思いを凝縮する。それ以上の音数だと、散文や詩のようになってしまう。短歌の求心性から言っても拡散され、述べたい気持ちが分散して、自由詩のようになってしまう。
また二十七音より少ないと、俳句のようになってしまう。いづれにせよ三十字前後の音数は大切である。
未来山脈の二〇二一年の三月号から短歌を見てみよう。
・朝焼けに残月見上げ湯浴みする 我が丑年を悦ぶ元旦(藤森静代)
・犬に引かれ散歩する老婆 おっとっとと前のめり 思わずかけ寄る(吉田桂子)
・自分探しとは自分を試し突き詰めること辿り着いたら曲げないこと(福長英司)
・またひとつ割れた指先の痛み見つめて冷えたキッチンに立ち尽くす(大野良恵)
・降る雪に葉っぱも紅だ大手毬 雪より白い花もまだ咲く(川嶋和雄)
・喪失感の深さは愛の深さです 恩師から労りの手紙が届く(佐藤静枝)
・鷲が居る巨木の天辺 逃げるリス枝から枝へと尻尾は揺れる(桜井喜美代)
・角度をかえて物事見ると新しい物語の扉がひらく(泉ののか)