短歌を作ろう
- 2021年7月1日
- エッセイ
自在に詠める喜び
現在の香港やミャンマーの不自由な国政に怒りを感じる人も少なくない。
日本でも、今では想像も出来ない不自由な時代があった。戦前の日本は、口語で自由に歌を作る人に、定形で文語の短歌を作るように強要されることもあった。
一九四五年(昭和二十年)敗戦によって、世の中は自由になる。口語で自由にものの言える短歌を標榜する短歌誌「新短歌」(「未来山脈」の前身)を、と宮崎信義は立ち上がる。
「未来山脈」は月刊誌です。まず毎月十首歌を作る。それを一年続ける。一年続くと、五年続く。そして十年二十年と。
生きていのちの言葉を刻むのです。
さて「何を詠むか」を考えてみたい。一首ずつ見ていくと、今はやはりコロナに関連した歌が多い。七月号から拾ってみた。
☆現在と過去と
・おちょやんの戦時下の道頓堀を見る 亡母も大阪空襲下で生きのびた (片倉嘉子)
・止まったままの古時計ねじ巻く気力なく今日の日記も同じ事がら (柴宮みさ子)
☆日常詠
・ミャンマーで四半世紀を生きた友 監視社会の苦悩伝えるメール来る (山崎輝男)
・「たけくらべ」の書写 久し振りの一葉 感慨深くなぞる (河西巳恵子)
・雨が降ったネ猫が紫陽花の陰にひっそりといる午後 (近山紘)
・誘われて吟行気味の春の街 短歌ありてこその今を残すべく (金森綾子)
☆自然を詠む
・お花見弁当に風に吹かれた花びらがひらひらと舞い花房もゆれる (中田多勢子)
・天竜の流れにゆれる水鳥二羽 ターンくり返し春を踊る (三澤隆子)
☆コロナを詠む
・コロナ不況で病院解雇されたと友が大阪からやって来た (東山えい子)
・電話も鳴らず来訪者も無くコロナが奪った交流と言う宝 (大内美知子)
・コロナ禍で身動きとれぬ山の暮らしに忘れていた七十年前の生活 (剣持政幸)
・本日の終了時間十分前にやったー通じた 受付出来ました (安田和子)
・友等との再開も恐る恐る遠慮がちコロナよ君の方が遠慮せよ (高木邑子)