足立公平の歌集『飛行絵本』から
- 2021年8月1日
- エッセイ
一九六六年刊行の足立公平の歌集『飛行絵本』(デザイン工房エイト製作)は現代歌人協会賞。一九六七年に受賞。
口語自由律短歌で、初めて現代歌人協会賞を受賞した記念すべき歌集である。そこで今回は、足立公平の歌を中心に考えてみることとする。
夢の如く
・再びペンを探る日に 精神の言葉や言葉の精神が往来をはじめるたのしさ
・真実生きたかったのだ 恥のようなものに身を啄まれながら
・廃墟へつづく一筋の道に影を落とし 生あたたかい春と想う
これらの歌の前には、但し書き――「人民短歌」昭和二十一年二月創刊号をぐうぜん大阪駅の売店で見出した時の喜び、それから書き出す――とある。
戦後すぐのころである。大阪は焼け野原。私(光本)は昭和二十八年に鳥取から初めて大阪に旅をした。小学校五年生だった、梅田の駅、天王寺の駅の人込み、靴磨きをする子供の矯正と逞しさ、戦争孤児、あれは孤児たちだった。スリもいた。街角に傷痍軍人と称する白い着物にアコーデオンを弾きながら物乞いする片足の青年。天王寺の駅はすすけて、薄汚れていた。けれど、明るく活気にあふれていた。もう驚きの連続。田舎にはない活気――。
そんな戦後の街の道端の店に短歌雑誌が並んでいた。足立公平は嬉しかった。戦争は終わり、再び自由に歌が読める日が来たのだ――。
飛行畳
・空への階段があり 僕の飛行畳が青い夜空に浮かぶうれしさ
・渦の中心を感じるように 飛行畳が底しれず落ちてきて目ざめる
本を売りて米を買う
・本を売り払った跡かたがあり 喰えない短歌は思いつづける
・四十になっても短歌短歌といいつづけるあわれさに振りかえられる
(僕のようなのは短歌ではないのだろうかと思いながら)と、現代歌人賞を受賞した足立公平。そんな彼もまた迷いつつ短歌を詠んだのだ。
足立公平に会ったのは、福田広宣の出版記念会の阪急ホテルで、私の大学三回生のころだった。