短歌は私小説の一部
- 2021年9月1日
- エッセイ
短歌は詩であると同時に、私小説の一片のような短歌もあってよい。誰しも一冊や二冊の私小説を書き残したいと思っている。しかし日々せわしなく家庭を切り盛りしながら子育てに仕事に追われている日常では、じっくり小説を書いている時間など無いのが現状だ。短歌はその点、思い浮かんだものをスマホにつぶやき、手帳に書き込み、いよいよ締め切りの時間が迫ったら、じっくり机に向かい短歌を作る。
次の歌はまさに私小説の一部とみる。
・名もない砂丘の片隅に昔の恋が老いていました
(梓 志乃歌集「遠い男たち」)
・嫁くか よかろう それがよい 短いやりとりのあとの親子の沈黙
(宮崎信義歌集「和風土」)
・どうしても一言多く言う癖を息子になじられて夏雲がわく
(貝沼正子歌集「触角」)
・錆びた廃車よ ハンドルの温もり思い出せ命がけで走った日
(土橋妙子歌集「カンナよ またの夏に」)
・俺が彼女を守りたかった本当は闇を孕んでいた人ゆえに
(森本平歌集「森本平集」)
・今いちどこぶしの花をみにゆかむ亡き人と汽車に揺られながら
(高旨清美歌集「雀のミサ曲」)
・地歴教師の父はひとりで教へ子を訪ね全国旅を重ねき
(小澤婦富貴子歌集「雪紐」)
・前菜は湯村の山のわかみどり帽子の好きな母とならびて
(河野小百合歌集「雪のにおい」)
・若いころ妻は夫を夫は老いて妻を待つ くるくる廻るかざぐるま
(光本恵子歌集「女を染めていく」)