虚構もまた真なり

先回は「短歌は私小説の一端」と述べた。今回は「虚構もまた真なり」と短歌の別な姿に焦点を当ててみたい。
薬もそのままでは?み込めないものも、オブラートに包むと?むことができるように、短歌もフィクションのオブラートをかけると、納得の歌ができることがある。
却って普遍的な短歌となり詩的に深く広くなり、透徹した心の内を吐き出し、自身にも気づかなかった自分の姿が見えてくる。
生活し生きるとは、光と影、肯定と否定、内と外、白と黒、悲しみと喜び、笑っては泣き、その両面、間を行ったり、来たりする感情、命を綴っているのが短歌である。

・地位も権力もなく誰にへつらうのか もう仮面を外したらどうだ
(三好春冥のうた「未来山脈」九月号)

・憂いも想いもふり捨てて夢の原っぱで赤い花さがしてる
(上平正一のうた「未来山脈」九月号)

・神風の星になれずに生きたこと死の近づきし父は悔いけり
(吉田匡希のうた「未来山脈」九月号)

・こうもりのとぶ 黄昏の町 ダブリンは遠く おおさかも遠い
(林一夫歌集『紅花』昭和四十六年刊・新短歌社)

・泣き、笑い、おどけて やっと終えた一日 柱にもたれたままねむってしまう
(大町正則歌集『人形峠』昭和五十三年刊・新短歌社)

・語りかけてくる窓辺のリンゴ この夜の雪降る音に耐えかねて
(斎藤葵和子歌集『りんごはるあき』昭和六十年刊)

・待つ人はこない コップのなかの氷のかけらそのままにしておく
(草飼 稔歌集『枯野の夢』一九八六年刊)

トランペットの鳴り響く夜の街 高いビルが音たて崩れる一瞬
(光本恵子『おんなを染めていく』)