豊穣の風景

豊穣の風景

笠原 真由美

学校は海に近かったので敷地全体が細かい白い砂でおおわれていました。公邸の真ん中あたりにきれいな竹林があって、下には小川が流れていました。竹の葉がさやさやと鳴る川の水はまるでとけたガラスのように透明で、その清らかな水のなかを小さな魚が群れをなして泳いでいました。

いきなり引用から入ったが、これはスリランカ生まれの児童文学者シビル・ウェッタシンハが自身の子供時代を綴った本だ。鮮やかな記憶が詩的な文章で描かれ、素朴で少し不思議な雰囲気を漂わせる挿絵も魅力的だ。一度読み始めると、その風景の中に引き込まれ、時を忘れる。
小さな村の慎ましやかで豊かな暮らし。

母は夜明けとともに起きました。一番先にするのは家中の窓という窓、戸という戸を開け放つことです。
豊穣の女神が
わが家に訪れるとき
われらは清潔をもって
女神に平和をささげまつる

なんと清々しく、厳粛な朝のはじまりだろう。

台所の扉は庭に向かって開いていました。庭はいつもきれいに掃いてありました。

庭には大きなライムの木があり、たわわに実がなる。ここでは誰もバタバタ急ぐことをしない。

アッタンマーは木陰にすわり、髪を風になびかせながら周りの景色をながめるのが好きでした。

月夜の晩、村は息をのむばかりに美しく、その銀色の世界を家々は扉を開けて迎え入れる。
世界の美しさは、すでに在る。この世の喜びは、いまここに在る。それを受けとる心に幼い日の純度があれば、日常のすべては「詩」になる。

わたしのなかにある子どもが、わたしの道をみちびく光でありつづけたのです。

『わたしのなかの子ども』(福音館書店)。
元図書館員の私が、「かつて子どもだった」すべての大人たちに薦めたい一冊である。