石川啄木と裕次郎
- 2022年8月1日
- エッセイ
裕次郎の唄の中に、石川啄木の短歌を連想する唄がある。
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錆びたナイフ 作詞・萩原四郎
砂山の砂を指で掘ったら
まっかに錆びたジャックナイフが出て来たよ
どこのどいつが埋めたか
胸にじんとくる小島の秋だ
薄情な奴を思い切ろうと
ここまで来たか男泣きしたマドロスが
恋のなきがら埋めたか
そんな気がする小島の磯だ
海鳴りはしても何も言わない
まっかに錆びたジャックナイフがいとしいよ
俺もここまで泣きに来た
同じおもいの旅路の果てだ
この歌謡曲が啄木の短歌に、よく似ていると思うのは私だけではないはず。裕次郎の唄も望郷の念捨て切れず「俺もここまで泣きにきた」のであり、この唄はまさに啄木短歌の吹き替えの詩と言えそうなほど。次の啄木短歌と比較してみよう。
啄木の短歌
東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる
いたく錆びしピストル出でぬ
砂山の
砂山を指もて掘りてありしに
第一歌集「一握の砂」から
笑ふにも笑はれざりき
長いこと捜したナイフの
手の中にありしに
第ニ歌集「悲しき玩具」から
東京に出た啄木が望郷の思いで函館などを思い作ったと思われる三首である。
時代は異なるが、裕次郎も神奈川県から父の転勤で北海道に移り住んだ。この唄の作詞者の萩原四郎は、この他にも裕次郎の「赤いハンカチ」「夕日の丘」「地獄花」を作っている。なぜ彼が石川啄木の短歌に真似たものを作ったのだろうか。
萩原四郎は浪曲の原作を書き、作詞し、日活の部長など勤めた人である。
明治以降、小説ばかりでなく短歌の世界も言文一致運動が起った。その中で、石川啄木の短歌は口語歌の源流となった。「一握の砂」は啄木生前の明治四十三年に東雲堂から出版された。