宮崎信義歌集『地に長く』を読み味わう

「地に長く」は短歌新聞社刊平成八年の発行。宮崎の第九歌集である。
年齢も七十代から八十代にかけての作品。
わたしもその年になった。それだけに気になる歌集である。

・あの娘は昭和四十五年生まれ私は明治四十五年生まれ私は明治四十五年生

明治四十五年で終わり、昭和は六十四年まであった。二つの年の四十五年は気になるところである宮崎の生まれた明治四十五年は石川啄木の亡くなった年でもある。昭和は長く続いた。

・この桜あと何年見られるかわたしが逝くのはいつ 頃だろう

この歌は七十七歳の頃の歌である。桜の花に感慨深く、「あと何年見れるだろう」「私が逝くのは」などと考える年であったのか。実際の宮崎は九十六年と十ヵ月生きて逝った。

 

・このデート美術館とコーヒー一杯で済むかどうか やあバスが来た

この歌は、女性とのデート、喫茶店でコーヒー飲んでお別れ、とはいかない、男と女。七十代の宮崎の気分は若いでいた。

 

・広島原爆地下鉄サリン始末のおえぬのは地震や台風だけではない

・遠くクレーンが動き地下をこんこんと水が流れる 明日また

・人はどうして弱いものを踏みじるのか生存競争と言えば済むのか

・光を一点に集めると海が焦げだした私の好きな海だ

この歌集を出して、さらに九十歳の時(平成十四 年二〇〇二年)、 光本に「未来山脈」(当時は「新短歌」の編集を渡したのである。 五十年間月刊誌としてやり、月刊誌の編集を降りて、逝去までの六年間に次のように歌集を作成。

・歌集「千年」(短歌研究社刊)
・歌集「山や野や川」(ながらみ書房刊)
・歌集「右手左手」(短歌研究社刊)
・『宮崎信義短歌作品集Ⅱ』(短歌研究社刊)

亡くなる時、手書きで光本に託した歌集『いのち』(短歌研究社刊)は死後できた。
歌人としてあっぱれな人生であった。