梓志乃のうた『阿修羅幻想』から
- 2023年2月1日
- エッセイ
志乃のうた「阿修羅幻想」から
志乃のうた
・祭りばやしにさそわれて燃える夕陽 遠い日の父の肩ぐるまのなつかしさ
・愛憎と云えるものすでに遠く 愛の彼方 雪はしんしんとただ降りつもる
・少年は老いた私の内で育たなかった愛は春の嵐に拭き散らす
・たんぽぽの綿毛風に乗る 永遠の命への旅 空の青さどこまでの
・夏がかくれんぼの愛をさらう 秋風の中 いつまでもひとりぼっち
・茶房の夜の深さに珈琲をひく ひたすらに香り立つ珈琲を
・醒めてゆく眠りの中 漠として捕え様もなく冬のむこうに私が居る
(歌集「阿修羅幻想」より)
・昇りつめて高層の果てのがらんどう 風の私の頭蓋が見える
(歌集『幻影の街」より)
ここに取り上げた歌は梓志乃の、二十歳から三十代の虚無と哀しみの歌である。この溢れる虚無感を仏像・阿修羅にたくして歌う。この無常観は 何処からきているのだろう。幼年期の環境がそうさせているのか。若い日の父への憧れの強さかその後の歌集に「遠い男たち」があるが、そこにも諦めの思想をかんずる。
実際の梓志乃は、何事にも粘り強く、諦めない。口語自由律短歌を詠みつづけることもそうであるが、東京八重洲口に近いところに喫茶店「パンドラ」を夫とともに経営。それももう五十年は続いている。
・あと五分の朝の眠りを至福とする 迷路の謎まだ解けない
・喧騒に移るまでの街を走り抜けても喧騒の街に商う他無く
(歌集『幻影の街」より)
梓志乃は現在、口語自由短歌誌 「芸術と自由」 編集発行人である。また、梓志乃と光本恵子は一九六〇年代から宮崎信義 「新短歌」の会員として互いに切磋琢磨した姉妹のような仲である。