ことばのちから

桃太郎なような男・大谷翔平

「僕らはきょう超えるために、トップになるために来たので、きょう一日だけは彼らへの憧れを捨てて勝つことだけを考えましょう」
野球の世界大会(ワールドベースボールクラシック) 決勝戦の前で、大谷翔平はこのように、仲間の前で、言ってのけた。
決勝戦の相手はアメリカである。
野球のことに詳しくない私だけれど、それでも 大谷君の言っている意味はよくわかった。 何分アメリカは野球の発祥地であり、アメリカ野球を目指して、野球人は世界中から「アメリカの大リー グで野球をやりたい」とめざす場所だ。 そんなアメリカといよいよ決勝戦で戦うのである。
しかし、日本だって、世界の強豪を倒して決勝まで来たのである。委縮してしまっては困る。
会場はアメリカ合衆国フロリダ州マイアミにあるローンデポ・パークだ。
そこで、二十代の大谷翔平がこの言葉を吐くのである。生意気なと却って反感を買うかもしれない。
しかし大谷の言葉は、そこにいる人だけではなく、テレビで観戦する人たち、日本人ばかりか、相手のアメリカチームさえ圧倒した。アメリカの 選手は、
「翔平は負けず嫌いだからな」と笑いながら応えていた。その相手からさえ、称賛される大谷の人柄と野球への思いの深さを、思って聞いた。言葉を発するということはそう言うことだ。言葉は人格である。ことばはその人そのものであるとき、他者にもすっと入っていく。わたしは源義経より、気は優しくて力持ちの桃太郎のような男だ なあと思う。
桃太郎なような男・大谷翔平について調べてみた。
岩手県水沢市に、社会人野球の選手だった父・ 大谷徹とバドミントン選手・加代子の次男として一九九四年に出生。
地元・平泉にゆかりある源義経の八艘飛びのイメージから「翔」と平泉の「平」を合わせて父が 「翔平」と命名したという。 子供の頃から負けず嫌いであり、みんなで遊んでいても、負けると必 ず「もう一回!」と言って勝つまで勝負をしたがる性格であるという。何ごともノートに記録して、反省し次に向う。 短歌を続けることも、反省してはまた次の歌を作りつづける。 これは大谷の生き方に通じるものだ。