杉原千畝の「命のビザ」

杉原千畝の「命のビザ」
光本恵子

「ありがとう 言いたかった」戦時中にナチスドイツの迫害から逃れ、神戸に一時滞在したユダヤ人のマーセル・ウエルランド氏(九十五歳)が「感謝の言葉を言いたかった」と神戸を訪れた。 -との新聞記事をよむ。

「命のビザを発給した杉原の話を知った時、私は岐阜県の千畝の生家を訪ねたのであった。

ナチスドイツのユダヤ人に対する迫害。大虐殺 (ホロコースト)については聞いて知っていた。そんなとき、ユダヤ人を何とか助けたいと思った男がいた。リトアニアで日本領事館に務めていた外交官のである。彼はユダヤ人難民を何とか助けたいと、日本を通過するためのビザを、つぎつぎと発行した。数千人分も発給し、彼らはホロコーストに送られることなく、他国に逃れ命を落とさずに済んだのであった。

前述のポーランド出身のウエルランド氏は家族とリトアニアに逃れ、そこで、杉原の発給したビザで、日本の敦賀港に着いて、神戸に半年とどまり、中国の上海からオーストラリアに渡ったという。生きながらえて、八十二年ぶりに日本を訪ねたのだと。
このように困難な状況であっても力の限りビザを発給し、ユダヤ人を救おうとした杉原の勇気と人道性は、現在に至るまで高い評価を受けている。

 

☆注 昭和十六年(一九四一年) 二月に、在プラハ領事代理となっていた杉原から本国の外務大臣に宛てて出された電報によると、ここでは、リトアニア人と旧ポーランド人に発給したビザの数は二一三二枚、このうちユダヤ系については約一五〇〇枚と推定される、と述べられている。ビザは、一家族につき一枚あればよかったことから、 杉原千畝が「命のビザ」によって救ったユダヤ人の数は、少なくとも六〇〇〇人に上ると言われている。このビザの発給を受けて欧州を脱出したユダヤ人は神戸や横浜を経由して、一時滞在し、アメリカやオーストラリアに渡って暮らした。こうして生きながらえたウエルランド氏が、再び神戸を訪れたのである。