関東大震災から百年
- 2023年10月1日
- エッセイ
今日、二〇二三年九月一日は一九二三年九月一 日の関東大震災から百年である。
大正十二年から現在は令和五年と和暦でいえば、大正 昭和 平成 令和と四つの時代を生き抜いて、現在百歳の現存の人もいる。
今年二月「白蓮」を上梓した私の「関東大震で、思いだすことは、白蓮と宮崎龍介との結婚が許され、二人が世に認められて夫婦になることができた。それは、この大震災のさ中であった。当然、実家の柳原家は白蓮の不倫騒ぎに、迷惑を被っていたので、援助などしない。 そんな時、池袋の宮崎龍介の両親の博滔天夫婦がおにぎりを差し入れ、晴れて宮崎龍介とともに白蓮は親子三人で暮らすことができたのであった。間もなく 大正十四年には娘・蕗子も誕生して、家族は四人になった。
数年前のこと。 私は学生だった二女と、新橋から銀座、有楽町を経由して日本橋まで「昭和通り」を歩いたことがある。その「昭和通り」は関東大震災の復興事業として計画、建設された道路であるという。
震災の時、東京市市長だった後藤新平の原案では道幅を一〇八メートルとする予定であったが、広い道路の重要性が当時は受け入れられず、現在の道幅に狭められ、一九二八年(昭和三年)に完成したという。 それで、「昭和通り」と言うことを、この関東大震災から百年のニュースで知った。 関東大震災の震災復興道路はいくつか計画さ れたようだが、結局、南北と東西の幹線道路二路線だけが実現。南北の通りが、現在の港区田町から台東区入谷に至る「昭和通り」、そして東西の通りが、新宿から両国橋に至る「大正通り」ということらしい。
災害は悲しい出来事ではあるけれど、人はいろいろ知恵を出して、苦しみから脱却し新生していく、次の進化を遂げ、変わっていくのだなあ。
今年は馬鹿に暑い日がつづき、ガソリン代も高く、暮らしにくい世ではある。 けれど、これらを乗り越え、次の百年に向って人は生き抜くのだろ。こうして人は歴史を紡いでいくのでしょう。