加藤克巳と宮崎信義
- 2024年10月30日
- エッセイ
光本恵子
ここで少し加藤克巳について述べておく。
加藤克巳は宮崎信義の友人でもあった。加藤の歌は自在で、抽象的である。あるとき彼に話をきいた。戦前の一九一五年ごろ、彼は口語自由律の歌の雑誌をたくさん読んだので、いまもその影響があると、語っていた。加藤に私はずいぶん大事にされた。宮崎の弟子というので。よく一緒に酒も酌み交わした。克巳の出版する本は、悉く贈られてきた。近いうちにあの世に往くかもしれないと思ってからは、次々歌集をまとめた。
思えば宮崎信義もそうだった。九十歳でわたしに歌誌を譲ってから亡くなるまでの六年間に五冊もの歌集をまとめてあの世に旅立った。自分の書き詠い、考えたすべてを、ことごとく「この世にまとめ整理して書き残したい」という願いは加藤も同じであったのだろう。本を遺すことは生きて来た情念の強さでもあったのだ。 昭和四十五(一九七○)年に歌集「球体」で迢空賞受賞。この歌集は私も持っているが
・円筒と角錐ごっちゃの間から人間ひとりはい出してくる
・物体が物体とぶつかるたびごとに人間の数どんどんふえる
・無尽数の人間、物体、猛烈に回転しつつ天へ舞いゆく
・人間は元素であるか太陽のましたに点々きらめいている
・永遠は三角耳をふるわせて光にのって走りつづける
という具合である。二〇一〇年、加藤克巳逝去。九十六歳。
その一年前に宮崎は逝った。二〇〇九年一月二 日、宮崎信義死去。九十六歳
・ここにこうしているのが不思議な気がするいなくなって変わるまい(「二月の火」、第一歌碑として妙心寺如是院に建立)
・ゆすぶってやれゆすぶってやれ木だって人間だって青い風が好きだ (「急行列車」、第二歌碑として彦根城の金亀公園に建立)
・山が描けるか風や水が描けるかあと一日で春になる(第三歌碑として御室山越の印空寺に建立)
・自然はすべてを引き受けてくれるそのままに何事もなかったように
・ふるさとの自然に還る――其れが何より生まれ 育ったところなのだ(以上二首は「未来山脈」二〇〇九年一月号に掲載された絶筆)