宮崎信義の最期
- 2024年12月31日
- エッセイ
宮崎信義の絶筆
・いつまで生きていられるか手足を広げて日光浴だ
・生きるのも死ぬのももうお任せだ神さま仏様でお決めください
・生きていようが死んでいようがどちらでもよくなったよいお天気だ
・自然はすべてを引き受けてくれるそのままに何事もなかったように
・ふるさとの自然に還る ―― それが何より 生まれ育ったところなのだ
(未来山脈二〇〇九年一月号)
「未来山脈」代表であった宮崎信義が亡くなったのは二〇〇九年一月二日午後一時四十八分。食道癌のため自宅で炬燵の前で食事をしたまま逝去。九十六歳六か月の人生。
思えば宮崎は亡くなる前に第十二歌集『右手左手」を遺した。短歌研究社刊、平成十九年(二〇〇七年) 一月二十七日発行。
亡くなる二年前である。宮崎九十四歳の歌である。
・死を終点とするか過程とみるかそんなことどうでもよいか
・あとひと月で九十四になる一本の道だけが残っている
・うっふと笑ってみたまえ収穫どきの葡萄がおち
・もうどうなってもかまわぬとは思わない半歩でも一歩でも前に出たい
・五十五までは登り坂自信も大事それからがまた登り坂
最期のうた「煙」
・青い情脈が目立つ腕だ私の体どこから燃えだす
・杖は家に忘れてきたかこれからはあの世への道中になある
・炎が全身に廻ったその中でまだ顔だけが浮いて見える
・うすい煙が煙突から上がりだした私が焼かれている
(第十二歌集・右手左手)