大船渡市赤崎の山火事

「あかさき」という町名に触れて

 

―――大船渡市の山林火災の影響で十八棟の住宅が全壊した赤崎町地区では、避難指示解除から一夜明けた三月十一日午前六時すぎに雲の隙間から朝日が昇りあたりを照らし出して・・・よかった、やっと鎮火した。
岩手県大船渡市の山火事がようやく鎮火した。

山火事に遭遇したこの町は今から十四年前の二○一一年三月十一日の大震災で被災した場所でもある。被災後、貝沼夫妻に三陸沖の大震災後の気仙沼から宮古まで、「未来山脈」の会員を訪ねて出かけて行った。

また、それから半年後、亡夫と共に被災地の気仙沼から陸前高田市に着き宿を探すもなかなか見つからず、ひとりの女性が食べ物屋さんをしている方の紹介で泊まったのが陸前高田の駅前の宿。 次の朝、陸前高田駅前からバスを経由し、一本松を見て、大船渡市に着いた。震災前は電車道だったのだろうか。なんとかバス道として街と街をつないでいた。バスはトンネルらしき道を抜けて走っていた。大船渡市までたどり着き、そこで次のバスを待って宮古まで乗り継ぐ。バスに乗り込んできた宮古の高校に通っていると言う女学生は、 災害でおばあちゃんを失ったと語った。

バス停から見える大船渡の港は、岸壁の入り組んだ港であった。

あの震災から十四年。この度は山林火災である。なんということか。それも岩手県大船渡市の赤崎町(あかさき)と言うではないか。私はあのいり汲んだ大船渡のバス停で待っている時に見た港の光景を思い出した。震災さえなければ、すばらしい良港であろう。

わがふるさと、鳥取県赤碕の菊港を思わせる港であり(呼び名が同じ「あかさき」)、その山辺が火事で燃え立っていると聞けば他人事とおもえない。 鳥取県赤碕「あかさき」と同じ名の大船渡市の赤崎に大震災の後、十四年後にこんな山火事という大惨事に遭遇するとは。

ところで現在ドジャースの佐々木朗希投手。彼は、九歳のころ陸前高田市に暮らし、震災で父と祖父母を亡くした。その後、母の実家のある隣町・大船渡市に移り、小学校から高校まですごしたという。

佐々木朗希投手のこと、今後の活躍を祈らずにはいられない。