西村陽吉と口語短歌  ―― 長嶋茂雄選手の妻、西村亜希子さんとは

西村陽吉と口語短歌

――長嶋茂雄選手の妻、西村亜希子さんとは

光本恵子

日本のプロ野球界の長嶋茂雄が亡くなった。確かに日本のプロ野球をここまで育てたヒーローである長嶋茂雄。今回はその妻の、西村亜希子さんの祖父の話をしよう。
亜希子さんの祖父というのは口語短歌では忘れられない人である。
一九六四年、昭和三十九年、東京ではオリンピックが開かれ、そのコンパニオンとして、語学に堪能であった亜希子さんも参加し活躍。当時巨人軍の選手であった茂雄が一目ぼれ、知り合ってその年の十一月にはスピード婚約、一九六五年一月二十六日、渋谷のカトリック教会で結婚式を挙げたという。わたしは鳥取から京都の大学に進んだ年でもあった。この年から、宮崎信義の「新短歌」に入門し口語歌を始めた私は、長嶋の射止めた亜希子さんの出自を知ることとなった。
長嶋の妻となった亜希子さんの祖父は、明治末から大正昭和と、口語自由律短歌を切り開いた人たちの一人である西村陽吉。

西村陽吉は、明治時代、日本橋の東雲堂書店を経営し、石川啄木「一握の砂」「悲しき玩具」、斎藤茂吉 「赤光」、北原白秋「桐の花」、若山牧水「別離」など、文学史に残る多くの歌集を出版した人物であった。
現在の口語短歌誌「芸術と自由」の梓志乃が東京で継いでいる。「芸術と自由」は昭和三十八年(一九六三年)にその名を遺そうと、口語歌人たちが、西村陽吉の妻に依頼し頭を下げて買い取った雑誌名である。 すでに陽吉は亡くなっていた。

西村陽吉のこと

はじめは西村辰五郎と呼んだが、のちに西村陽吉とする。東京都渋谷区生まれ。陽吉の養父の西村寅次郎のもとで日本橋四丁目の出版社・東雲堂書店に入店したのが明治三十七年のことだった。石川啄木、斎藤茂吉、北原白秋、若山牧水など、文学史に残る歌集を編集・出版し、西村陽吉の名で自らも口語自由律の歌人として活躍した。
NHKの「べらぼう」の蔦重は江戸の末の話だけれど、彼のような男を想像してしまう。

西村陽吉のうた

・机の上に一冊の本が載ってるるそれを読み通す時間がほしい
・めいめいに寝るだけの巣はもってゐて疲れて帰るそのあどけなさ
・無遠慮に疾駆してくるトラックに負けまいとして前を横切る
・この町が灰の中からよろぼうて立ち上る日を二度も眺めた
「現代口語歌選」
・私は何ものだ私は何ものだ私の蝕み傷いた肉体がここにあるのを見る
「新短歌一九三八年版」
・父を思へば/かの骨壺を思ひ出つ/大いなる骨のかなしかりしか
「都市移住者(第一歌集)」
・世界はけふこそ休め遠い空からふんぶんと冬のおとづれが来る日
「芸術と自由(一九二八年三月号)」