中秋の名月ってなあに

中秋の名月ってなあに

暑かった夏もおわりに近づき「中秋の名月」がられる日も近い。地球に住む私たち、特に日本人は日本人は月への思い入れが強く、古くから月のことを歌い継いできた。

  • 月の下の光さびしみ語り子のからだくるりとまはりけむかも  (島木赤彦)
  • 月に映えるすすき はかなげにしなやかに逆光に立つ  (本恵子「おんなを染めていく」

暗い夜空に神秘的に輝く月を見るのは、人間の感情に訴えるものが多いのであろう、昔から月を織り込んだ物語、詩、歌は枚挙にいとまがない。

特に虫の音のにぎやかになる秋口に昇る満月、満月は年間で十二~三回見られるが、その中で特に旧暦の八月の満月を一年で最も美しい「名月」とする考えは中国・唐代の半ばの八世紀頃に始まったらしい。信仰の対象や月の美しさを楽しむ風習のほかに、秋の収穫を祝う祭の営みが背景にあったのであろう。

いま私たちが普段使っている西暦は太陽歴とも言い、太陽の運行を基準にした暦である。これに対し旧暦は月の満ち欠けのサイクルを基準にした暦である。

太陽が東から昇り、夕方西へ沈んで一日が終わる。これが約三六五回繰り返されて地球は太陽の周りを一周する。この繰り返しが地球上の人間を含むあらゆる動植物にとっての基本的な周期であり、生命の営みのベース。

月の満ち欠けに対して太陽は常に丸いままである。季節の移り変わりはあっても初めと終りがはっきりしない。

月の満ち欠けならば科学の発達していない原始生活をしている人であっても明瞭に目でとらえられる。地球上の誰もが共通に数えられるのだから、暦に利用されていくのはきわめて自然であった。

日本での暦は、朝鮮半島を通じて中国から伝えられた。

江戸時代は公式祝日として五節句が旧暦で法制化された。(簡略には、一月一日、七章。三月三日、ひな祭り、五月五日、こいのぼり、七月七日、七夕、九月九日、菊の節句をいう)

しかし、明治五年に西洋式の太陽暦(西暦)に切り替えられた。以来、旧暦で行われていた地方のさまざまな古い行事などが除々に廃れつつあるが、今もこの旧暦にまつわる行事や言葉などが民衆の生活の中に残っている。

最近はあまりにも暑い日が続く夏と、大雪の冬と、二季だけになってしまった感がつよい。
今なお、諏訪湖の月は素晴らしい。

  • 重ねる手にこぼれる月明かり なんでも許せそうな夜だ    (光本恵子「薄氷」)