かつての岡谷の街
- 2025年12月1日
- エッセイ
連作の効果
今、三枝弓子さん、三澤隆子さんが中心になって「岡谷」では未来山脈の短歌会がいくつかある。その岡谷の街の製糸でならしたころの面影を辿ってみよう。
製糸の町・岡谷
煙突はうたう
・無表情に突っ立つ三本のえんとつ街の変貌には冷ややか
・煙を吐かなくなって久しい煙突 製糸時代は俺の天下だった
・無用の長物と言われながら煙突は生き長らえて湖の街を見下ろす
・朝の逆光に黒い煙突 生糸紡ぎの名残りと知る人も少ない
・もくもくと吐く煙で欧米のおんなの足を包んだ絹のストッキング
・圧制の象徴でもあった赤い煉瓦の煙突 戦禍を逃れ生き残る
・青空に立って権勢を誇った煙突 老いて雀と戯れる
・赤煉瓦の煙突は胸を張り一世紀を空に立ち続ける
(光本恵子第四歌集「おんなを染めていく」から)
一九七○年、鳥取から信州に嫁いだ私は下諏訪駅から歩くと、高くて太い煙突が気になった。その煙突は見る場所によって姿を変えた。三本になったり二本になったりした。その煙突からは煙が出ていない。そういえば小学五年生の時、はじめて習った日本の歴史で「世界の岡谷は絹の町」と教わった。それは戦後の一九五一年ごろ、片田舎の小学校での社会の時間のことであった。岡谷がどこにあるかも知らなかった。その後、諏訪地方に住みこの煙突が絹の町の印と知るのである。世界に名だたる日本の絹を輸出していた諏訪地方。煙突はその時代の名残だ。明治大正期に日本で外貨を稼げたのは「シルクの輸出」であった。日本中の傾斜地には桑の木が植えられ、女工さんがせっせと繭から糸をとった。そのシルクによって稼いだドルで、九州や北海道で石炭を燃やし軍艦を造り、日清、日露戦争をやったのだ。そうして栄えた岡谷の町。
「大晦日の夜、岡谷の成田山は神社に向かう若い女性であふれた。薮入りで一年分のお金をもらった女工さんたちは、丸髷を結ったその黒髪で石段は埋まり、それは女性たちであふれた」と、話す会員もいた。
当時の頃を知る人が未来山脈の会員にいた頃の話。