昭和初期の口語短歌
- 2026年2月5日
- エッセイ
昭和初期の口語短歌
光本恵子
清水信歌集「朝刊」を読む
清水信歌集「朝刊」は昭和十一年(一九三六年) 三月に刊行している。
清水の歌集「黎明を行く」(大正十四年)、「新陽」 (昭和三年)、「煙突」(昭和四年)、「都市計画」(昭和七年)につづく第五歌集「朝刊」である。清水信は明治三十三年(一九〇〇年)五月十八日に奈良の大和郡山市に生まれた。大正十二年には口語歌誌「郷愁」を創刊し、早くから口語自由律を主張する。その後、印刷業をしながら「短歌建設」を創刊し「短歌科」と改名し、「作歌」と変更。このころ、清水は金子きみと東京で会っている。この昭和十一年には 「新短歌クラブ」が結成された年でもある。
この歌集「朝刊」。住所は奈良市紀寺東口町七七八番地、著者は清水信義と本名になっている。作者自身がプリント印刷したもので、活字も小さく読みづらい。昭和七年から十一年までの短歌一千首を順に収めている。
当時の口語自由律短歌のグループには、芸術派と生活派(プロレタリア派)が、同居していた。何を言わんとしているのか分からないような不可解な短歌や奇怪な歌があった。
ポエジーとは何か。その問題は今日の私たちが作歌する上にも、大きな課題として考えていかねばならない。
具体的に、歌集から清水信の歌を引いてみよう。
・市予算 隔離病棟が白い木製の空間にすぎないのを秋の緯度へ見つけた 〔昭和十一年作〕
・びちびち透きとほる秋 早起きをたのしむ面積に越年性草の繁茂 〔昭和十年作〕
・仏ら おほむねゆつたりと食はなくてもよい蓮台にゐる 〔昭和九年作〕
・ポケットから児に与へる白銅の体温を掌と掌が秋する 〔昭和八年作〕
・空地よく放尿をする 市の衛生係員ら いま秋草にする 〔昭和七年作〕
・嘲笑へ 焦れ 怒れ 蔑め りるりるりる 深夜の広告塔は点滅しつづける 〔昭和七年作〕
最後の歌は「りるりるりる」とオノマトペをつかい、しゃれた歌になった。「深夜の広告塔」とは天王寺の通天閣と思われるが、上句では感情をぶつけて、下句で都市の風景を客観的に取り込み、点滅する広告塔に思索する人の気持ちを語らせている。こうして都会の普遍的な短歌になった。昭和七年の通天閣は新しさや未来の象徴であったに違いない。
清水信は口語自由律短歌への道を大正時代からまっしぐらに走り、昭和十二年には奈良から東京へ出てその道を突き進んだ。