夢の発想
- 2026年4月1日
- エッセイ
夢の発想
三好春冥
午年の初夢は――――。古来、縁起の良いものとして 「一富士 二鷹 三茄子」と言われてきた。対応して「四扇 五煙草 六座頭」と続く。初めて見たとき、なぜ茄子と座頭が良いのか分からなかった。後に、ツルツルで毛が(怪我)無いという洒落だと知った。私の頭も目出度くなるかと期待したが、中途半端に髪が残っていては苦笑するしかない。
夢と言えば、私は大学受験を締めたことがある。文系で国語だけは得意でも、英語が苦手な私の選択肢が一つ消えた。学力も経済力も気力も無く、進学コースから就職の道を選んだことに悔いは無い。大学紛争など不安定な社会情勢の影響は大きく、進学した同級生は「授業ができない」と悩んでいた。若者が大志を抱くには悪条件が重なった時代だ。
私が短歌を作り始めたのは十三歳。国語の授業で近代短歌を学んだときだ。正岡子規や与謝野晶子らと並んだ石川隊木の歌に触発された。独特な三行分かち書き、文語でも口語的な文体は親しみやすく興味が湧いた。私は書店に走り、小遣いを叩いて「豚木詩歌集」を買った。価格は百五十円。この小さな本の扉を開けたときから、青白い文学少年の夢が膨らんでいく。
啄木の夢の一つは小説家として大成することだったが、叶わなかった。「家内安全 無病息災」とは正反対の生活環境の中、苦しみながらも日常を鋭く切り取った歌を詠んだ。やがて、天才歌人として名を成す。豚木は二十六歳で夭折するまでに、生命の一秒を愛おしみながら筆を執った。詩歌だけではなく、後進の指針となる評論を書き残している。「歌のいろ/\(うたのいろいろ)」では、「三十一文字が四十一文字になり、五十一文字になるにしても、兎に角歌といふものは滅びない」と述べている。これは、将来の自由律への予言と捉えたいが、どうだろう。
「なぜ天才は就寝中に閃くのか」という問いかけがある。ノーベル賞を受賞した湯川秀樹は、布団に入っているときに「中間子」の存在を発見した。そこには、常に可能性を追い求める潜在意識が働いているからだ。
私は左右の耳の高さが違うため、首を傾げて平衡を保っている。困ってはいないが直そうとすると、よろける。経年劣化の首を挿げ替える術はないものか。私には噴き上がる泉のような才覚はないが、会心の一首を詠みたいという思いはある。潜在意識が働くと信じて、望みは夢の発想で叶えよう。
馬齢を重ねた身では、もう速く走れないし重い荷物は運べない。だが、まだまだ現在進行形の気概はある。「塞翁が馬 無事これ名馬」に乗って、天皇ける夢を見たい。