一隅を照らす

三好春冥

全国に約九百万戸。これは深刻な社会問題の一つ「空き家」の数だ。私が住む町内にも廃屋がある。庭木の枝が伸びて通行の妨げになり、不法投棄のゴミが散乱している。何より夜になっても明かりが点らない家は怖くて悲しい。

空き家は、放置しているだけで増税や行政罰の対象になる。また他者に被害が出れば損害賠償を負うことにもなる。維持管理するにも解体処分するにも多額の費用がかかり個人では対応できない。行政も有効活用を図るほか、強制代執行など対策を講じてはいるが、解決には苦慮しているのが実情だ。

喜寿を迎える私は、ふと空き家問題が人ごとではなく我が身のこととして不安が募ってきた。すでに父と母が世を去り、今は一人暮らしの私が居なくなったらと思案していた。幸い、近くに住む甥が生まれ育った古巣に妻子を伴って戻って来ることになった。私は平穏な日常の明かりを引き継いでくれる甥のために遺言を書き、傷んだ家の補修を計画した。 医療費を使わない生活ができた私の蓄えで何とか賄える程度だが、その出費は後々の安心料と思えば惜しくはない。閻魔大王への付け届けが無くなったので、地獄の沙汰は少し待ってもらおう。

私は遺言を確実な公正証書にすることにした。重要な書類だから実印が必要だろうと思い公証人役場へ足を運んだ。ところがタブレットに電子署名をするだけで認め印すら要らないと言う。赤い印鑑を機つも押した重々しい書類を想像していたが、控えに貰ったプリントは吹けば飛ぶようで拍子抜けした。 遺言はデーターベースに百四十年間保存されるそうだ。世情の変化に疎いアナログ人間の私には良い社会勉強になった。

思えば、ポケベルもケータイも持たない昭和の一時代が懐かしい。休日に会社から呼び出されることはなく、誰にも邪魔されない自分の時間をボンヤリと過ごす「ゆとり」があった。今は、趣味や娯楽が多様化して情報が氾濫するネット社会。すぐに結果が出て便利だと言うが、私は気忙しくて疲れる。

では、短歌の将来は――。社会問題に関心を示すZ時代がSNSで「三十一文字」の雰囲気を楽しんでいるようだ。若者の斬新な価値観を現代短歌に反映してほしい。

古来、歌人でなくても歌を教養として身に付け、折々の思いを託してきた。私の一生は、どんな終わり方をするのか。事件、事故、災害などで命を奪われるのは辛い。辞世の一首を詠む才覚と時間は得られるだろうか。特に口語短歌に関わる者として、その領域が「夢の跡」になっては困る。せめて一隅に揺れる仄かな灯火でありたい。