森本俊夫歌集『入道雲と駆けっこする』

森本俊夫歌集『入道雲と駆けっこする』
光本恵子

森本俊夫歌集『入道雲と駆けっこする」は昭和十八年に、昭森社から出版されている。定価は二円二十銭。

森本俊夫歌集は彼の「主張」から始まる。

―――短歌の伝統は日本民族の血液の一部であり、だからこそ、僕らは日本の魂の方法として短歌を選んだ。僕らの新短歌は現代口語をその用語とし、この内容を盛るにふさわしい形態を敏感に創造してゆく。現代口語の美を発見してゆく。―― とあり、この歌集は戦時下(一九四三年) に出版された。

―――習志野陸軍病院でなした数次に亘るぼくのささやかな主張を、戦場の魂を以って、肯うた数多い傷病将兵諸君が正しく裏書してくれる。「現実に徹する」と呼び、「生に則する」と謂う、「死を心にあて」生々躍動の「今」を底流してやまぬ力強い具象から描かれた思想の再構成、再成形にこそ、 僕らの新短歌への拠り所があると、口語歌への思いを語る。いつ戦死するかも知れぬとき、生死のきわみにおいて、なお自分を表現する方法として口語自由律を選んだことへの誇りが読み取れる。

短歌を見ていこう。

・こうこうと霧が捲く火口湖の林道で私語される古代服飾史の位置など

―――霧にまみれた日本の脊髄――と解説のまとめにもある。

・雲 雲を追つて少年ら 眸は歴史のやう 曲つてゐる

・長躯きらめいて通り過ぎる 五月の空はいとけない知己ばかり

・スケートする少女を掴んで蠢いてゐる雪空が君も僕も

森本は、大正五年一月八日に岐阜県高山で生まれ、昭和十年成城高等学校から京都帝国大学法学部卒業し銀行に入る。短歌結社は尾上柴舟の「水甕」を経て昭和十一年から逗子八郎の「短歌と方法」に入会。ここには「詩歌」が、前田夕暮れの一声で定型に変更した後、宮崎信義も口語自由律歌誌「短歌と方法」の会員になっている。昭和二十年八月、戦争は終わり、宮崎信義がいち早く口語短歌誌「新短歌」を昭和二十四年に立ち上げると、戦争から帰還した口語歌人は宮崎の許に集まる。森本も宮崎信義の許に戻ってきた一人である。 次は一九五二年版「新短歌」森本の作品。

・ほだ火よりもきよげな眸をして山男ら 蛇を喰い 渓谷に棲むという

・蛇を喰い 晩い月の出を待っている 硫黄が匂うので 雁の眸つきする山男たち