宮崎信義の歌 - 二段組みの短歌から -
- 2017年8月30日
- エッセイ
歌集「太陽はいま」(昭和六三年・短歌研究社刊)を取り上げる
宮崎信義の作品の中で上下句に分かれている「二段組み」の作品を選んでみた。
上と下のフレーズで関連のある場合と、内容から見て、吹っ飛んでいる場合とがある。その飛躍が短歌を面白くし、自身のことだけを詠うのではなく、個人的な目線から離れて、視野を広く、短歌を普遍的にする効果があると感じる。
・地熱を利用して改革がすすむ海星が人の代わりをする 「地平線から」
この歌を詠んだ昭和五十八年(1983年)のころ、紛争の火薬庫と呼ばれた中近東。エネルギー源を中東に依存してきた日本はあの頃オイルショックと呼んで石油が高騰してトイレットペーパーも無くなる騒ぎが起きた。「地熱を利用して改革がすすむ」の地熱とは石油の大量にとれる中近東あたりを思い出す。オイル革命の時代だ。下句に転換する。ここに海底の生き物・「海星」を持ってきたところが宮崎らしい。地熱や海星はこの地球の長い命の産物である。永久な物体や産物に対して人間は少しづつ感謝を込めて享受すべきだ。エネルギーを得るためには手加減もない人間。問われているような短歌である。宮崎七十一歳の作。
・精神と飢えと燃える樹があり赤い郵便車が二台はしる 「地平線から」
山の中腹か、ホテルの高層ビルから見下ろす光景か。あるいはかって行ったヨーロッパの街を思い出しているのか。
上句「精神と飢えと燃える樹があり」の「燃える樹」はゴッホの糸杉など思い出してしまうが、これは比喩で作者自身のことであろう。と考えると「赤い郵便車が二台」は男女だろうか。それは考え過ぎか。しかしながら、七十一歳にしてはなかなか広大で艶っぽい短歌である。
・気短かにはなるまい軒の低い町から麓の寺へ石畳がつづく 「地平線から」
いきなり「気短にはなるまい」から始まる、宮崎はこの年齢になってようやく、短歌に専念できるようになった。それまで、国鉄(現在のJR)関係の勤務を七十歳まで勤め上げた。ついつい焦りが出てしまう。今までできなかったことを遣り遂げるまでは生きていなければと。下句には千年も続く京の街並み。焦らず、寺の石段を一歩一歩踏む。「軒の低い町」はいかにも黒瓦の京都の町並みを思わせる。盆地の周辺には石畳の道や寺があちこち。自宅から歩いて福王寺、妙心寺、仁和寺と宮崎のゆっくり行く姿が浮かぶ。