宮崎信義の歌 首の歌
- 2018年6月1日
- エッセイ
歌集「地に長く」から
〇これが七十七歳という顔か鏡をぐっとにらんでみたりにっこりしてみたり
「どっしり見えるのは」
①私の首は目をつむったまま生きていて動かぬ何万年か経っていよう
②首から下は要らぬ食べ物も着物も要らぬ天と地の間に生きて
③私の首は飾るがよい鹿や熊よりも生き生きしていて星に近い
④丘に私の首を飾れ天と地が徐々に暗くなってきた
⑤私の首は吊るしたままがよい静かに天と地が近づいてくる
「天と地と」
最初の歌は七十七歳の誕生日の歌。次の「天と地と」の五首は同じ七十七歳の作であるが、奇妙と言えば怖いような歌である。
宮崎信義はこの生命体を二〇〇年から一万年先を見つめていた。
一方で日々の生活を七十七歳の孫を喜ぶ「おじいちゃん」の面もあれば
、くるっと視点を変えて一万年後の姿を見る。
足許の歌と未来への二つの世界が見えていた。
ここに上げた歌はある面「聖書」や仏教典でも読んでいるような不思議な空間に投げ込まれる。宮崎の未来の姿は、脳と目玉だけがあり、首から下はない。その首から上の頭は宇宙の中間に浮遊しながら、「天と地の間に生きて」人間世界を見下ろしている。空に漂って指揮し、地球に信号を送っている。まるで「私は死んでも生きている。歌壇の様子も、口語短歌がどのようになっていくのかも、みんな見ているぞ」と呟くように。
②⑤のうたは戦国時代の武士の首(首実検)をも思い出す。武士の家系に生まれ自負心の強い宮崎である。さらに④③①のうたは宗教者、聖職者のような意識を持っていた。ここまで口語自由律を貫こうとした精神力は、民族詩・短歌をこれから継続して遺してゆかねばという強い意識があったのである。「何万年も生きて宇宙に漂いながら、この日本人の詩心を見ているよ」と。