水のわかれ
- 2019年1月6日
- エッセイ
初めて分水嶺と聞いたとき、心臓の震えるような音がした。
古くはこの分水嶺を「水のわかれ」とも呼んだらしい。私が信州に初めて足を入れたとき、この「分水嶺」ということばに命の根源の場所に出会ったような懐かしい歓びを感じた。
この信州、塩尻と諏訪と伊那の境にある善知鳥峠は標高八八九メートルの位置にあり、本州のほぼ中央に位置していて、長野県の塩尻から辰野、岡谷、下諏訪にまたがり、峠とはいえやや広い空間である。松本平と伊那谷の分岐点でもある。
・みぎ日本海ひだり太平洋 水のわかれ善知鳥峠の上に立つ
太平洋に流れる天竜川と、日本海に行きつく信濃川のわかれの峠。この滴の一滴が少しづつ膨らみ、いよいよ大河となるのだ。太平洋に流れる木曽川、天竜川。日本海に流れ着く犀川から千曲川となり新潟湾に流れ出る信濃川。
古代から中世にかけて開かれた東山道は今の滋賀県から青森まで繋がっていた。近世に入ると、江戸を中心に五街道の一つ、このあたりは中山道となる。一部古代の東山道に近世の中山道がダブっているところもあり、この塩尻、小野、辰野間の道路沿いの家々は昔からのしっとりと門構えの家々もあって古き良き日本的なたたずまいがのこる。
私は善知鳥峠から小野の昔の名残の家々の構えも残る伊那街道ともいう三州街道をあるいてみる。今なお江戸情緒の残る街道だ。小野地区をうろうろ歩いていると筑摩書房の古田晃記念館に出会った。嬉しかったが、当日は休館。あらためて来ようと思う。
その後、しっとりとした小野の街道筋を抜けて塩嶺の勝弦を通り岡谷から下諏訪宿へと通過して下諏訪の我が家に帰ってきた。
・うとう、かっつる峠道こえ三州街道へ 古い門構えの通りゆく
・分水嶺に立つ水のわかれは人のわかれ 長い道てくてく独り
・枯れススキ足許さやさや 留まれとどまれと風に流れる
・南北に分断された小野の街 塩尻と辰野に別れなぜか切ない