エッセイ
光本惠子のエッセイ
短歌の発酵を待つ
- 2020年8月5日
- エッセイ
9月号のために十首歌を作らなければならない。ああどうしよう。
まず8月号の短歌雑誌を受け取った時、パラパラと雑誌をめくってみる。ああこんな歌もあるなあ。これなら私にだって作れそう。その歌を書き留めてみる。真似は「まなぶ」の始まり。
散歩に出かける。石ころに当たって転びそうになる。転んだ顔の先にコンクリ―トの隙間から名も知らぬ小さな黄色の花が咲いている。こんなところでも生きよう、咲こうと首を伸ばしている花の芽に驚く。転んでもただでは起きない。あの家の前にはバラの花の根元で犬が吠えていた。帰宅するとそのことを紙に書きとめる。これが歌作りの一歩である。 (さらに…)
宮崎信義の歌からまなぶ
- 2020年7月2日
- エッセイ
・本の始末はしておかないと死ぬにも死ねぬと思いながら渉らぬ
(宮崎信義歌集「山や野や川」より)
宮崎信義歌集『山や野や川』は平成17年10月にながらみ書房から出版した。宮崎93歳の時である。この歌集にある短歌である。これは平成14年(2002)の90歳の作。この年宮崎は、光本に「新短歌」を譲り「未来山脈」と合併した。それは生涯最後の時を、整理したいと思ってのことであったろう。何時その時が来てもおかしくない年齢になっていた。準備としては、このたくさんの書籍をどうするか。毎日毎日そのことが気になりながら、なかなか整理できないでいた。なにぶん書籍というのは重い。それより先にやらねばならぬことがあった。今まで作った短歌を本にまとめることである。実際、光本に歌誌の発刊を委ねてからの仕事ぶりはすさまじかった。 (さらに…)
スペイン風邪と松井須磨子
- 2020年5月2日
- エッセイ
『カチューシャの唄』 (抱月作詞・中山晋平作曲)
- カチューシャかわいや わかれのつらさせめて淡雪 とけぬ間と神に願いを(ララ)かけましょうか
- カチューシャかわいや わかれのつらさ今宵ひと夜に 降る雪のあすは野山の(ララ)路かくせ
- カチューシャかわいや わかれのつらさせめて又逢う それまでは同じ姿で(ララ)いてたもれ
- カチューシャかわいや わかれのつらさつらいわかれの 涙のひまに風は野を吹く(ララ)日はくれる
- カチューシャかわいや わかれのつらさひろい野原を とぼとぼと独り出て行く(ララ)あすの旅
「角川短歌」2020年3月号にて「のぼるんだ生きるんだ」12首が掲載される。
角川短歌」2020年3月号にて「のぼるんだ生きるんだ」12首が掲載される。
光本恵子(未来山脈)
・ゴォーの音とともに川の決壊(けっかい)りんごも梨もみんな泥田に
・ずんずん水かさ上がり白壁埋まる二階に逃げろ
・濁流に呑みこまれる紅いりんご押しつぶして河は龍となる
・形あるものみるみる濁流にのみこまれる家も畑も
・鬼の面ゴォーとともに人も街も呑みこむ千曲川
・風案じ慌てて?ぎとるとるりんごまで濁流はさらっていった
・りんご園も道路も川も呑みこんで傾いた屋根にカラス一羽
・人の差に存在理由みつけたい蜘蛛は美しい罠を張る
・大蜘蛛は頭上に綱張り待ちかまえる捕(つか)まるのはどっち
・ポリコレってどこまで公正(こうせい)中立(ちゅうりつ)がこの世にあろうか
・鈍行に揺られバスのりつぎ屋島の里へひねもす与一と
・のぼるんだ生きるんだ金毘羅の石段ついに七八五段
光本恵子の歌 「馬の糞」20首掲載 「短歌研究」 2020年2月号掲載
「短歌研究」 2020年2月号掲載
光本恵子の歌
「馬の糞」20首掲載
・山越えて谷を下り未来山脈 みずうみから八ヶ岳のぞむ
・博労の小椋のおっさん酒を一杯飲んでいる問に馬の糞
・博労はたいらげた 馬の糞している間の豆腐一丁
・美容院がえりの頭が笑っていた祖母に私もわらう
・魚売るおばあちゃんの大八車押すのは小二のわたし
・しろいもの光に透けて筋をなす雨から雪に湖かくれる
・宵の月過ぎ通る人影にもびくともしない鷺のながぁい首
・刻々と姿を変える夕べのみずうみ月と星はオーケストラ
・ながれゆくバッハの曲たゆたう湖(うみ)とりまき濃紺にひかる星
・台風来て水は出なく水であふれるそれでも抱き留めてくれる湖
・いきなりあらわれる宮崎信義「カレーを食べようや」白い歯見せて
・八ヶ岳(やつ)の一滴は川つくり諏訪湖に降り龍になって太平洋まで
・苦しみの闘病の日みなに授けられ六十本の輸血を受けて今が在る
・短歌(うた)詠むも生きていればこそ宮崎信義の踏ん張りを力にして
・湖畔にてカラスと仔猫のあらがう壮絶なる闘いのはじまり
・電線のカラス下降し仔猫をいじるついにわたしの出番なり
・雪かぶる八ヶ岳(やつ)の水と石 縄文から令和まで人を生かして
・八ヶ岳(やつ)の光浴び一人の少女馬曳いてゆくかっぽかっぽ
・ゆるゆると長い坂のぼりゆく目前に雪をかぶった八ヶ岳
・朝日かがやく八ヶ岳を背に娘の馬はゆるゆる草食む
歌壇グラビアから未来山脈の今昔
歌壇グラビアから未来山脈の今昔
光本恵子
写真を見ながら口語短歌の話をしよう。
- 2002年(平成14年)大阪で「新短歌」会の模様。小野菊恵追悼、光本恵子著『金子きみ伝』と浅野英治歌集の出版記念会。参加者は井口文子、福田廣宣、宮崎信義、金子きみ、浅野英治、毛利さち子、金子の息子・庄司雅昭、木村安夜子、光本恵子など
- 1988年(昭和63年)2月、光本恵子第一歌集『薄氷』にて新短歌賞と新短歌人連盟賞を授与され、新短歌の会が長野県岡谷市マリオにて開かれた。この時、光本恵子の家族、夫の垣内敏広と娘2人で四楽四重奏ヴィバルディ「四季」を演奏する。
- 2003年(平成15年)2月8日、宮崎信義の卒寿と歌集『千年』を祝って「未来山脈」の会を下諏訪・山王閣にて行う。宮崎は90歳。鳥海昭子、山崎雪子、西村恭子、中川菊治、水野昌雄、金子きみ、伝田幸子、梓志乃、山村泰彦、井口文子ら80名の参加。
- 2004年(平成16年)7月10日、「新短歌」55周年、「未来山脈」15周年記念の会。「新短歌」と「未来山脈」の合併初めての会。岡谷マリオにて行う。参列者・伊藤桂一、小西久二郎、酒井佐忠、鈴木諄三、栗明純生、水木春房らなど。この年は「未来山脈」が日本短歌雑誌連盟より『優良短歌雑誌』として表彰。
2005年(平成17年)4月29日、宮崎信義は93歳で日本短歌雑誌連盟の第1回特別賞に決まり、東京駅に迎えに行くと、宮崎は新幹線を降りて「これが私の最後のこの世への置き土産だろうか」と語った。2年後の平成19年1月2日に宮崎信義はあの世へ旅立った。それからの光本の口語短歌への道は険しく楽しく、まあ、ゆっくりマイペースで今まで通りやってゆこうと思う。
「口語自由律短歌の命脈」現代短歌新聞 96号より
口語自由律短歌の命脈
佐藤 千代子
令和元年12月8日に「未来山脈七十周年記念大会」が湯島の東京ガーデンパレスにて執り行われた。結社「未来山脈」は光本恵子主宰を中心とする「口語自由律短歌」を標榜、実践する結社だが、出席者は94名、現歌壇を支える主要な歌人・批評家及び出版関係者が集う盛会となった。
式次第は、光本氏の挨拶に始まり、続いて歌人の藤原龍一郎氏による講演「口語自由律の光と影」が行われた。藤原氏は俳人としても活躍されており、口語自由律短歌の歴史を踏まえ、前田夕暮、尾崎方哉、種田山頭火等の作品を挙げて話された。
加えて辛口ではあったが、これからの「口語自由律短歌への十章」として韻文性をどう保証するか?など多くの問題点を具体的に示された。「口語自由律短歌」の将来への好意的で建設的な講演であった。 (さらに…)
石塚多恵子歌集から学ぶ佐渡のこと
- 2020年2月4日
- エッセイ
今回は石塚多恵子歌集『篝火』について記したい。この歌集は新潟の歌人クラブで入賞した歌集である。選に入った理由をのべるために、11月24日には、新潟市に行ってきた。
石塚多恵子歌集『篝火(かがりび)』より。
・薪能の篝火さかる大膳社くらがりは野の奥にひろがる
・北前船泊てし宿根木潤の岩に船つなぎたる石柱いくつ
・金山の名残の官舎廃屋となりてなづさふ京町の坂
・鳥追ひの唄に追はれて来しといふ朱鷺は滅びゆく吾が住む佐渡に
・凍る海へ落ちゆく赤き日論に光る涅槃図見しはまぼろし