エッセイ

光本惠子のエッセイ

今年も盆が来た

花見潟墓地の石燈籠について

わたしの育った鳥取県東伯郡琴浦町赤碕には海辺に約二万の墓が東西約350メートルに渡って立ち並ぶ。各墓地にはそれぞれ石燈籠が並び、盆の前に、燈籠に和紙を張り付けたり、灯をともす準備で大忙し。いよいよ盆になると、その燈籠に灯が着く。育った稼業は盆と正月はとくべつ忙しい料理屋。8月13日の夕方には迎え火を炊くのである。父母には忙しい時期なので夕方には墓参りのできる祖母と子供が石蝋燭に灯をともす役目。燈籠の灯が海風で消えてしまわぬように、四隅を和紙で留め、一方だけ長く延びた和紙を石で押さえる。それを済ませて、オガラ(麻の茎か)に灯をつけて「迷わないで来てください・こなかあれござれ」と声を出しながら火の粉を墓石の頭に降りかける。 (さらに…)

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「いのち」の自由律(朝日新聞 うたをよむ より)

2019年9月15日

朝日新聞 俳壇 歌壇

うたをよむ 「いのち」の自由律   光本恵子

 

うたは喜びであり、生きることそのものだ。「いのち」と言っていい。美しくなくてもいい。醜いものは醜いまま自由に何でも短歌にする。五七五七七の定型からはみだしてもいいのだ。わたしたちの結社は、普段使っている誰にもわかる易しいことばで自在に詠んでいる。 (さらに…)

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信州ゆかりの歌人たち

2019年7月20日、日本歌人クラブ(会長・三枝昂之)主催の「第20回現代短歌セミナー松本」が松本市アルピコプラザホテルで開催された。テーマは「信州ゆかりの歌人たち」を現代の歌人5名で語る。会場には東京、千葉、横浜、姫路など遠くから、また、信州の飯田、長野、飯山とあちこちから集まった歌人や観衆170名の人で熱気溢れる会場である。

長野県代表幹事である山村泰彦(松本市)の開会宣言とともに始まった。 (さらに…)

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齋藤史のうた -歌集『うたのゆくへ』と『密閉部落』から-

齋藤史のうた -歌集『うたのゆくへ』と『密閉部落』から-                        2019年7月30日

 

この二冊の歌集は昭和二十年、東京が焼け野原になった齋藤家は先祖の墓がある信州に疎開して、そのまま信州の人となった。史の父・齋藤瀏は軍人でありその一人っ子で育つ。それだけに時には男の勇姿も女の優雅と華やかさの両面を求められて育つ。戦後のものの無い時代の信州に、東京から来たときの侘しい思いは強い。史の上から目線も気になる。 (さらに…)

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齋籐史のうた -第十一歌集『風翩翻以後』から-

齋籐史は第十一歌集『風翩翻』の出版の後、平成十四年四月二十六日に他界した。その後、『風翩翻以後』(現代女流短歌全集68、短歌新聞社刊)が息子・斉藤宣彦によって出版された。これには光本も現代女流短歌全集7として参加している。

 

・わが手より放ちたるもの鳩の雛・熱気球・いま黄なるかまきり

・つねに何処かに火の匂ひするこの星に水打つごときこほろぎの声

・堂々と今年も赤き実をつけし渋柿はわが亡きのち伐らるべし

 

また史は「原型」平成十三年十一月号に次のように書いている。 (さらに…)

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齋籐史の歌

・つねに追はれ通り抜け来し四十年 ドアを開け

ドアを閉め流刑の部屋

(第六歌集『密閉部落』〝山に放つ眼〟)

齋籐史は明治四十二年に生まれ平成十四年に逝く(一九〇九~二〇〇二)。平成十四年四月二十六日に九十四歳の命を閉じた。史を語るとき、昭和十一年の二・二六事件を見過ごすわけにはいかない。一九三六年二月二十六日、陸軍の現役青年将校らが兵士を率いて首相官邸などを襲撃する事件が起きた。彼らは処刑となる。そこに父の齋籐瀏が連座していた。処刑された者の中に同級生や下級生もいたのであった。史はこの事件を一生背負うこととなる。昭和二十年末日、焼け野原になった東京をあとにして家族とともに信州へ疎開する。そうして史は信州の人となった。右のうた「流刑の部屋」のフレーズは疎開した信州もまた史の眼にはこのように映ったのであろう。
齊藤史第六歌集『密閉部落』は宮崎信義の遺品の本の中にあった歌集である。齋籐史と宮崎信義の歌は反骨精神とシュールなモダニズムのところで結ばれていたらしい。 (さらに…)

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元号 令和について

新しい元号が「令和」と命名された。
これは日本最古の和歌集「万葉集」からとられた。改めて「万葉集」から「令和」の出典を確認しておきたいと思う。 (さらに…)

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いのちと償い ~ある死刑囚と短歌~ (信濃毎日新聞より)

2018年7月から2019年3月まで、信濃毎日新聞の文化面にて連載されていた企画「いのちと償い―ある死刑囚と短歌」(計22回)に、新聞読者から多くの感想や意見が寄せられ、その内容が紙面にて紹介されました。獄中で命と罪に向き合った岡下香・元死刑囚の生き方や、彼と関わった人たちの思い、短歌や芸術の役割についての感想を中心にまとめられたものを転載いたします。

なお、連載されていた企画「いのちと償い―ある死刑囚と短歌」についても、一部当Webサイトで紹介しております。

命ある限り学びたい ~下諏訪の結社へ入会の申し出

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歌評 光本恵子『口語自由律短歌の人々』評 さいかち真

私が本格的に短歌に取り組みはじめた三十代の頃に、前川佐美雄の『植物祭』を読んで感動した覚えがある。愛唱歌が多くあって、またそれについての文章も書いた。昭和初期の短歌というと、まずあがる名前は前川佐美雄、それから石川信夫なのだろうと思う。どちらも「芸術派」と言われた系譜の歌人だ。これと並行して「プロレタリア短歌」と呼ばれた系譜の作者たちがいた。 (さらに…)

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口語自由律歌の歴史と運動 - 口語自由律と現代の口語短歌 ‐

明治になると短歌の世界にも、大きな変化が現れる。文学全般に今使っている言葉(口語)で表現しようとした言文一致運動が始まった。まず江戸時代生まれの歌人・林甕臣(みかおみ)は、明治二十一年に「東洋学芸雑誌」に「言文一致歌」を発表。
・ギラギラト。ヤブレ障子ニ。月サエテ。風ハヒウヒウ。狐キャンキャン
林甕臣「東洋学芸雑誌」 (さらに…)

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