エッセイ

光本惠子のエッセイ

石川啄木と裕次郎

裕次郎の唄の中に、石川啄木の短歌を連想する唄がある。

*

錆びたナイフ 作詞・萩原四郎

砂山の砂を指で掘ったら

まっかに錆びたジャックナイフが出て来たよ

どこのどいつが埋めたか

胸にじんとくる小島の秋だ

 

薄情な奴を思い切ろうと

ここまで来たか男泣きしたマドロスが

恋のなきがら埋めたか

そんな気がする小島の磯だ

 

海鳴りはしても何も言わない

まっかに錆びたジャックナイフがいとしいよ

俺もここまで泣きに来た

同じおもいの旅路の果てだ

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口語短歌の歴史

一・江戸時代

※小沢蘆庵と上田秋成

・君のため木曽の山雪わけてまたいぬらむか木曽の山道
(小沢蘆庵『六帖詠草』から)

・霞立つながき春日を子供らと毛鞠つきつつこの日くらしつ
(良寛『蓮の露』から)

・おもふ人こんというまに梅の花けさの嵐に散初めけり
(上田秋成『つづら文』から)

近世には、短歌にもさまざまな論が起こるのであるが、終りの藩士であった小沢蘆庵(一七二三~一八〇一年)は「古今和歌集」の序に「ただごと歌」とあることから、歌の自然体、日常詠を主張した。
上田秋成(一七三四=一八〇九年)はどうか。秋成といえば、和歌というより怪奇小説『雨月物語』『春雨物語』の白話小説で名高い。晩年に著した『胆大小心録』という小説、随想集の多い秋成ではあるが、口語発想の短歌も詠んだ。 (さらに…)

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豊穣の風景

豊穣の風景

笠原 真由美

学校は海に近かったので敷地全体が細かい白い砂でおおわれていました。公邸の真ん中あたりにきれいな竹林があって、下には小川が流れていました。竹の葉がさやさやと鳴る川の水はまるでとけたガラスのように透明で、その清らかな水のなかを小さな魚が群れをなして泳いでいました。

いきなり引用から入ったが、これはスリランカ生まれの児童文学者シビル・ウェッタシンハが自身の子供時代を綴った本だ。鮮やかな記憶が詩的な文章で描かれ、素朴で少し不思議な雰囲気を漂わせる挿絵も魅力的だ。一度読み始めると、その風景の中に引き込まれ、時を忘れる。
小さな村の慎ましやかで豊かな暮らし。

母は夜明けとともに起きました。一番先にするのは家中の窓という窓、戸という戸を開け放つことです。
豊穣の女神が
わが家に訪れるとき
われらは清潔をもって
女神に平和をささげまつる

なんと清々しく、厳粛な朝のはじまりだろう。

台所の扉は庭に向かって開いていました。庭はいつもきれいに掃いてありました。

庭には大きなライムの木があり、たわわに実がなる。ここでは誰もバタバタ急ぐことをしない。

アッタンマーは木陰にすわり、髪を風になびかせながら周りの景色をながめるのが好きでした。

月夜の晩、村は息をのむばかりに美しく、その銀色の世界を家々は扉を開けて迎え入れる。
世界の美しさは、すでに在る。この世の喜びは、いまここに在る。それを受けとる心に幼い日の純度があれば、日常のすべては「詩」になる。

わたしのなかにある子どもが、わたしの道をみちびく光でありつづけたのです。

『わたしのなかの子ども』(福音館書店)。
元図書館員の私が、「かつて子どもだった」すべての大人たちに薦めたい一冊である。

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映画ドライブ・マイ・カーを観る

どうしても読みたい本があるように、観ておかねばならないと思う映画がある。

映画「ドライブ・マイ・カー」はそんな作品だ。長編映画米アカデミー賞を取った映画である。村上春樹の同名短編小説と他の作品「女のいない男たち」「木野」「シェエラード」という二編の要素も取りいれて、作品は出来上がっている。劇中劇でチェーホフの戯曲「ワーニャ叔父さん」が作中劇となっている。絶望に耐えて生きていかなければならない人たちの姿を描き出す。チェーホフの作品がカギとなって描かれる。愛していた妻を失った禍福(西島秀俊)と、そのみさきという名の運転手役(三浦透子)の演技が自然体。芝居をしているという感じではなくて。そう、自然体がいい。 (さらに…)

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老いの歌

平等に人は老いてゆく

永田和宏の次の歌に出会い嬉しくなってしまった。

・花ふぶくなかに半日本を読むこの贅沢を老いてこそ知る
・これしきのことと思へるこれしきがかくもうれしくわれ老いにけり

(短歌研究2021年6月号) (さらに…)

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コロナとの闘い

コロナとの闘い

コロナ禍の中で読んだ歌を挙げる(未来山脈二月より)。 (さらに…)

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対立軸は作らない

短歌は文語か口語か、律においては五七五七七か自由律かで分類すると次のようになる。
一、文語定型
二、文語自由(波長のうた)
三、口語定型
四、口語自由律
しかし、このように分類すること自体、対立軸を作ろうとする人たちの思いであり、もっと柔軟に考えたほうがよい。
私の生まれた一九四五年は第二次世界大戦が終わりを告げた年。それまで戦時下にあって、口語で自由律などと言えば、それだけで、「戦禍の時代、自由などとんでもない」と軍部からはお叱りを受けた。 (さらに…)

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日本歌人クラブ甲信越ブロック大会の作品から【信濃毎日新聞 (2022年1月6日)掲載】

日本歌人クラブ甲信越ブロック大会の作品から

光本恵子

日本歌人クラブ甲信越ブロック大会(会長・光本恵子)を岡谷市マリオで行った。日本歌人クラブの本部(会長・藤原龍一郎)は東京にあり、歌人の組織はいくつかある(短歌の組織・歌壇)のなか人数は最も多い。地域ごとにブロックを持ち、新潟、山梨、長野の三県をまとめて甲信越ブロックとしている。

今年十月三十一日は、岡谷市マリオにて、藤原龍一郎氏を講師「コロナ禍の歌」と題して講演をおこなう。昨年から予定していた事であるが、果たしてコロナ禍のなか、会員で、集まることが可能か案じられた。それでも優良歌集を選ぶこと、作品募集など行ってきた。

すこしコロナ禍も収まった十月、予定通り開催できたことは幸いであった。東京、新潟、山梨、岩手などから五十五名の参加。

優良歌集は一位に 渡邊美枝子歌集『回転木馬』。二位に新潟県の松田慎也歌集『詮無きときに』がえらばれた。

 

・子には子の行く道のあり暑き日の大根サラダさりさりと食む(渡邊美枝子・富士吉田市)

・若き日は遥けくなれど紫の春は恋おしくリラを植えたり(松田慎也・上越市) (さらに…)

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角川「短歌」12月号に光本恵子の「現在をうたう」が掲載されました

「現在をうたう」

 

 

みつめて離さない黒牛の潤んだ瞳は山陰地方の耐えた生き物の眼

光本恵子第一歌集『薄氷』

 

「潤んだ瞳」は真実の眼である。

敗戦の年一九四五年鳥取県の港町赤碕(現・東伯郡琴浦町赤碕)に生まれた。大山の肥沃な国土を生かした農業と酪農でなり三つの村の要となす、日本海から水揚げされた魚を生業とする港町。その町で水揚げされた魚の仲買人の父は酒の販売から乾物物と何でもありの雑貨商(今でいうスーパーマーケット)。母と祖母はそれらの品を使っての料理屋を営んでいた。毎月旧暦の二十八日は海の荒神様の祭りに合わせて、牛市の日だった。あちこち近隣の村からおじさんたちが牛をトラックにのせて、あるいは引いて街にやって来て牛を売買する市が開かれる。高値で競り落とした馬喰たちのふところはあたたか。胴巻にたっぷりお金を詰めて、祖母、母の営む料理屋に集まる。 (さらに…)

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時代を切り取る

社会詠(戦時下のうた)

昭和十六年(一九四一年)十二月八日開戦となった。宮崎信義は昭和十八年三十一歳の時、召集令状(赤紙)を受け、暑い八月の末、門司から釜山まで輸送船で、朝鮮半島から満州を経て天津に。いったいどこに連れていかれるのか、生きて帰れるのか。ここには兵士のさりげない眩き、真実の声のうたである。戦前の歌なので、旧仮名である。
昭和三十年十一月新短歌社刊、宮崎信義の第二歌集『夏雲』から見てゆく。 (さらに…)

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