エッセイ

光本惠子のエッセイ

元号 令和について

新しい元号が「令和」と命名された。
これは日本最古の和歌集「万葉集」からとられた。改めて「万葉集」から「令和」の出典を確認しておきたいと思う。 (さらに…)

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いのちと償い ~ある死刑囚と短歌~ (信濃毎日新聞より)

2018年7月から2019年3月まで、信濃毎日新聞の文化面にて連載されていた企画「いのちと償い―ある死刑囚と短歌」(計22回)に、新聞読者から多くの感想や意見が寄せられ、その内容が紙面にて紹介されました。獄中で命と罪に向き合った岡下香・元死刑囚の生き方や、彼と関わった人たちの思い、短歌や芸術の役割についての感想を中心にまとめられたものを転載いたします。

なお、連載されていた企画「いのちと償い―ある死刑囚と短歌」についても、一部当Webサイトで紹介しております。

命ある限り学びたい ~下諏訪の結社へ入会の申し出

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歌評 光本恵子『口語自由律短歌の人々』評 さいかち真

私が本格的に短歌に取り組みはじめた三十代の頃に、前川佐美雄の『植物祭』を読んで感動した覚えがある。愛唱歌が多くあって、またそれについての文章も書いた。昭和初期の短歌というと、まずあがる名前は前川佐美雄、それから石川信夫なのだろうと思う。どちらも「芸術派」と言われた系譜の歌人だ。これと並行して「プロレタリア短歌」と呼ばれた系譜の作者たちがいた。 (さらに…)

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口語自由律歌の歴史と運動 - 口語自由律と現代の口語短歌 ‐

明治になると短歌の世界にも、大きな変化が現れる。文学全般に今使っている言葉(口語)で表現しようとした言文一致運動が始まった。まず江戸時代生まれの歌人・林甕臣(みかおみ)は、明治二十一年に「東洋学芸雑誌」に「言文一致歌」を発表。
・ギラギラト。ヤブレ障子ニ。月サエテ。風ハヒウヒウ。狐キャンキャン
林甕臣「東洋学芸雑誌」 (さらに…)

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永田和宏の歌2

※永田和宏第三歌集「無限軌道」(1981年11月20日、雁書館刊)から
「無限軌道」は大体1977~1981年の永田和宏の作品である。それは三十歳から三十四歳の作品であり、貧しかったが将来への希望に満ちて充実していたころだ。当時80年にはモスクワでオリンピックが開催されている。そのハンマーを投げる男の姿に自分を透視したような歌が見える。

・ハンマー投げの男おのれを軸としてまわるよ中心なる孤独はや (落下点)
・落下点を目測しつつ立つときに不意に死までの<時>透けて見ゆ (落下点) (さらに…)

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永田和宏の歌

※第二歌集「黄金分割」

(一九七七年十月一日、沖積舎刊)

・丈高き夏草の葉の輝きに紛れて見えぬわがヨブの背も

(吃水を越ゆ) (さらに…)

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永田和宏の歌から

永田の第一歌集「メビウスの地平」(1974年刊)から短歌を挙げる。

あの胸が岬のように遠かった。畜生! いつまで俺の少年  (「あの胸が岬のように」 26)

この歌はきらめく言葉と率直な物言いが混然として男の汗臭さまで飛び散りそうな歌である。 (さらに…)

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水のわかれ

初めて分水嶺と聞いたとき、心臓の震えるような音がした。
古くはこの分水嶺を「水のわかれ」とも呼んだらしい。私が信州に初めて足を入れたとき、この「分水嶺」ということばに命の根源の場所に出会ったような懐かしい歓びを感じた。
この信州、塩尻と諏訪と伊那の境にある善知鳥峠は標高八八九メートルの位置にあり、本州のほぼ中央に位置していて、長野県の塩尻から辰野、岡谷、下諏訪にまたがり、峠とはいえやや広い空間である。松本平と伊那谷の分岐点でもある。 (さらに…)

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ミロのヴィーナスのまえで パリのルーヴル美術館

ルーヴル美術館は、セーヌ河の川岸にある。まずセーヌ河クルー。岸辺の石造りの建造物に圧倒される。船の中は人種の渦のように様々な肌色の人が、共にどよめきながら、対岸の城や美術館を見入っていた。行き交う船が通過するとお互いに手を振りあう。上空ではグワーンとつぎつぎ軍機がとんでくる。まあ上空も両岸も賑やかなこと。クルーを終えると、さっそく、ルーヴル美術館にとびこむ。わあっ、ここも大勢の人の列だ。美術館というよりお城のよう。解説を聞いて納得。やはりここは元は城だったという。その昔、一六八二年にフランス王ルイ十四世が、自身の王宮にベルサイユ宮殿を選び、ルーブル宮殿は美術品を置く場所とした。その後、幾たびも改修を経て、ここはルーブル館となったという。世界一、入場者の多い美術館となった。 (さらに…)

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今井邦子について

今井邦子記念館は長野県下諏訪町の湯田町に建つ。今井邦子(1890根年~1948年)を継承しようと下諏訪町で、元の旅館に似せて建てた。以前は江戸時代からの下諏訪町湯田の中山道沿い「松屋」と号した旅籠であった。記念館と称する前にも、邦子の没後、姪の岩波佳代子さんが住んでいて、私は幾度か訪ねたことがあった。 (さらに…)

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