エッセイ

光本惠子のエッセイ

虚構もまた真なり

先回は「短歌は私小説の一端」と述べた。今回は「虚構もまた真なり」と短歌の別な姿に焦点を当ててみたい。
薬もそのままでは?み込めないものも、オブラートに包むと?むことができるように、短歌もフィクションのオブラートをかけると、納得の歌ができることがある。
却って普遍的な短歌となり詩的に深く広くなり、透徹した心の内を吐き出し、自身にも気づかなかった自分の姿が見えてくる。
生活し生きるとは、光と影、肯定と否定、内と外、白と黒、悲しみと喜び、笑っては泣き、その両面、間を行ったり、来たりする感情、命を綴っているのが短歌である。 (さらに…)

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短歌は私小説の一部

短歌は詩であると同時に、私小説の一片のような短歌もあってよい。誰しも一冊や二冊の私小説を書き残したいと思っている。しかし日々せわしなく家庭を切り盛りしながら子育てに仕事に追われている日常では、じっくり小説を書いている時間など無いのが現状だ。短歌はその点、思い浮かんだものをスマホにつぶやき、手帳に書き込み、いよいよ締め切りの時間が迫ったら、じっくり机に向かい短歌を作る。 (さらに…)

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足立公平の歌集『飛行絵本』から

一九六六年刊行の足立公平の歌集『飛行絵本』(デザイン工房エイト製作)は現代歌人協会賞。一九六七年に受賞。
口語自由律短歌で、初めて現代歌人協会賞を受賞した記念すべき歌集である。そこで今回は、足立公平の歌を中心に考えてみることとする。 (さらに…)

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短歌を作ろう

自在に詠める喜び

現在の香港やミャンマーの不自由な国政に怒りを感じる人も少なくない。
日本でも、今では想像も出来ない不自由な時代があった。戦前の日本は、口語で自由に歌を作る人に、定形で文語の短歌を作るように強要されることもあった。
一九四五年(昭和二十年)敗戦によって、世の中は自由になる。口語で自由にものの言える短歌を標榜する短歌誌「新短歌」(「未来山脈」の前身)を、と宮崎信義は立ち上がる。

「未来山脈」は月刊誌です。まず毎月十首歌を作る。それを一年続ける。一年続くと、五年続く。そして十年二十年と。
生きていのちの言葉を刻むのです。
さて「何を詠むか」を考えてみたい。一首ずつ見ていくと、今はやはりコロナに関連した歌が多い。七月号から拾ってみた。 (さらに…)

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短歌の作り方

口語の現代語で短歌を目指す私たちは出来るだけ自由に思いの丈を詠みたいものである。27音から35音程度に自在に歌が作られている。未来山脈6月号から挙げてみたい。 (さらに…)

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今回は短歌の技法を考えてみたい。

☆一字あけについて

短歌を詠むとき、ここは一字あけが好いか、詰めるがいいか、迷う時がある。
基本的には一字あけは、短歌ではあまりしない。それでも一字あけたほうが良い場合がある。
一字あいていることにより、必ずここで一呼吸止めて読み味わう。また、漢字が重なる場合などはどこで一呼吸つくのかわからない、そんなときは一字あけをすることによって、深くその歌を味わうことができる。

・娘よ何が起ころうともお前の人生 暴風雨も明日は晴れる
(光本恵子歌集『紅いしずく』) (さらに…)

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自由律短歌の音数

定型の枠を外した自由律短歌ではあるが、三十一音の定型の律は常に念頭に置きたい。それは我々が作っているのは俳句でも詩でもなく短歌であるからだ。そこでここでは音数について語る。

それは歌のボリューム、厚さ幅といってもよい。短歌が内に持つ定量、適量というものがある。それは音数で言えば二十七音から、長くとも三十八音程度ということになろうか。この中に作者の思いを凝縮する。それ以上の音数だと、散文や詩のようになってしまう。短歌の求心性から言っても拡散され、述べたい気持ちが分散して、自由詩のようになってしまう。

また二十七音より少ないと、俳句のようになってしまう。いづれにせよ三十字前後の音数は大切である。
未来山脈の二〇二一年の三月号から短歌を見てみよう。 (さらに…)

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連作の効用

連作の効用

ひとつのテーマで十作作ってみる、 なにか物事 ははっきり見えてくるではないか。 このような短歌の作り方を連作という。 花を見ても鳥に接しても、一首で思いを盛り込もうとすると、あれも入れたい是も入れたいと、何を歌おうとしているのかわからない。具沢山の吸い物のように、何が何だかわからない味になってしまう。いま目にしている写生を十枚の絵に描いてみるように、 丁寧に一首ずつ短歌に詠んでみる。 さてどうなるか。一首一首が引き締まった作品の上、さらに十首を詠み終えた時の満足感はなかなかいいものだ。 鳥の飛ぶ姿、花の可憐でそれでいてしっとり咲く花のちから。初めて、対象があぶり出されてくるのではないか。
風景ばかりではなく、対象が「人聞」についても連作の効用は大きい。次に人問、宮崎を詠んだ作を記す。 (さらに…)

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短歌の作り方 具体と抽象 言葉の選択

短歌を作る場合、歌にしようとする対象を、物や人の動きをよく観察して、自分の感情は抑え、出来るだけ客観的にものを見つめることを大事にしようとする詠み方がある。他方、自分の気持ちや心の動きを考え、常識とはかけ離れて自分の心の動きを一番に、自分の感じた心のうちや思いを大切にする。自分独自の表現―これを抽象的、あるいは心象風景ともいえる。しかし現実のうたは具象と抽象は互いに相よりそい混然として一首となす、具現と抽象入り混じっている場合がおおい。ともかく、口語自由律短歌は、誰にもわかる言葉で、そこには「詩的」精神があり、無駄な言葉はそぎ落とし、冗漫にならないようにしたい。たとえば、枯葉や木の実、干し柿などの歌に、さらに、最後の締めくくりに「秋の空」とする。これでは季節も興ざめである。 (さらに…)

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短歌の作り方

対象を絞ること、対象をよく見ること

対象をあるがままに見ること。あの人が言うからとか、この花は誰もがこう思うから、ではなく、私はどう感じるか。私の眼で見て感じたことが大事である。内なる感情に対しても同様である。本を読み、辞書を見て、ラジオを聴く。同じ庭の花もじっくり見ているといつもと異なって見えてくる。
言葉に出して自分の感情や具体的な花の思いなどを表現するとき、比ゆを使って自分の気持ちを表現することもあってよい。
ともかく感じたことを紙面や画面に吐き出してみよう。字数など考えないで、ともかく吐き出す。活字に表現してみる。そのあとじっくり考える。長すぎたところは三十字前後に。気持ちがダブる言葉は簡潔に。それが名詞も、修飾することば形容詞や副詞もダブっていないか、その修飾語はもっとふさわしい単語があるのではないか、音数を考えながら、別な単語を当ててみる。韻律はリズムはよいか。
数日して、その歌をさらに読み直してみる。そして完成する一首。 (さらに…)

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