エッセイ

光本惠子のエッセイ

光本恵子の歌 「馬の糞」20首掲載 「短歌研究」 2020年2月号掲載

「短歌研究」 2020年2月号掲載

光本恵子の歌
「馬の糞」20首掲載

・山越えて谷を下り未来山脈 みずうみから八ヶ岳のぞむ
・博労の小椋のおっさん酒を一杯飲んでいる問に馬の糞
・博労はたいらげた 馬の糞している間の豆腐一丁
・美容院がえりの頭が笑っていた祖母に私もわらう
・魚売るおばあちゃんの大八車押すのは小二のわたし
・しろいもの光に透けて筋をなす雨から雪に湖かくれる
・宵の月過ぎ通る人影にもびくともしない鷺のながぁい首
・刻々と姿を変える夕べのみずうみ月と星はオーケストラ
・ながれゆくバッハの曲たゆたう湖(うみ)とりまき濃紺にひかる星
・台風来て水は出なく水であふれるそれでも抱き留めてくれる湖
・いきなりあらわれる宮崎信義「カレーを食べようや」白い歯見せて
・八ヶ岳(やつ)の一滴は川つくり諏訪湖に降り龍になって太平洋まで
・苦しみの闘病の日みなに授けられ六十本の輸血を受けて今が在る
・短歌(うた)詠むも生きていればこそ宮崎信義の踏ん張りを力にして
・湖畔にてカラスと仔猫のあらがう壮絶なる闘いのはじまり
・電線のカラス下降し仔猫をいじるついにわたしの出番なり
・雪かぶる八ヶ岳(やつ)の水と石 縄文から令和まで人を生かして
・八ヶ岳(やつ)の光浴び一人の少女馬曳いてゆくかっぽかっぽ
・ゆるゆると長い坂のぼりゆく目前に雪をかぶった八ヶ岳
・朝日かがやく八ヶ岳を背に娘の馬はゆるゆる草食む

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歌壇グラビアから未来山脈の今昔

歌壇グラビアから未来山脈の今昔

光本恵子

写真を見ながら口語短歌の話をしよう。

  1. 2002年(平成14年)大阪で「新短歌」会の模様。小野菊恵追悼、光本恵子著『金子きみ伝』と浅野英治歌集の出版記念会。参加者は井口文子、福田廣宣、宮崎信義、金子きみ、浅野英治、毛利さち子、金子の息子・庄司雅昭、木村安夜子、光本恵子など
  2. 1988年(昭和63年)2月、光本恵子第一歌集『薄氷』にて新短歌賞と新短歌人連盟賞を授与され、新短歌の会が長野県岡谷市マリオにて開かれた。この時、光本恵子の家族、夫の垣内敏広と娘2人で四楽四重奏ヴィバルディ「四季」を演奏する。
  3. 2003年(平成15年)2月8日、宮崎信義の卒寿と歌集『千年』を祝って「未来山脈」の会を下諏訪・山王閣にて行う。宮崎は90歳。鳥海昭子、山崎雪子、西村恭子、中川菊治、水野昌雄、金子きみ、伝田幸子、梓志乃、山村泰彦、井口文子ら80名の参加。
  4. 2004年(平成16年)7月10日、「新短歌」55周年、「未来山脈」15周年記念の会。「新短歌」と「未来山脈」の合併初めての会。岡谷マリオにて行う。参列者・伊藤桂一、小西久二郎、酒井佐忠、鈴木諄三、栗明純生、水木春房らなど。この年は「未来山脈」が日本短歌雑誌連盟より『優良短歌雑誌』として表彰。

2005年(平成17年)4月29日、宮崎信義は93歳で日本短歌雑誌連盟の第1回特別賞に決まり、東京駅に迎えに行くと、宮崎は新幹線を降りて「これが私の最後のこの世への置き土産だろうか」と語った。2年後の平成19年1月2日に宮崎信義はあの世へ旅立った。それからの光本の口語短歌への道は険しく楽しく、まあ、ゆっくりマイペースで今まで通りやってゆこうと思う。

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「口語自由律短歌の命脈」現代短歌新聞 96号より

口語自由律短歌の命脈
佐藤 千代子

令和元年12月8日に「未来山脈七十周年記念大会」が湯島の東京ガーデンパレスにて執り行われた。結社「未来山脈」は光本恵子主宰を中心とする「口語自由律短歌」を標榜、実践する結社だが、出席者は94名、現歌壇を支える主要な歌人・批評家及び出版関係者が集う盛会となった。
式次第は、光本氏の挨拶に始まり、続いて歌人の藤原龍一郎氏による講演「口語自由律の光と影」が行われた。藤原氏は俳人としても活躍されており、口語自由律短歌の歴史を踏まえ、前田夕暮、尾崎方哉、種田山頭火等の作品を挙げて話された。
加えて辛口ではあったが、これからの「口語自由律短歌への十章」として韻文性をどう保証するか?など多くの問題点を具体的に示された。「口語自由律短歌」の将来への好意的で建設的な講演であった。 (さらに…)

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石塚多恵子歌集から学ぶ佐渡のこと

今回は石塚多恵子歌集『篝火』について記したい。この歌集は新潟の歌人クラブで入賞した歌集である。選に入った理由をのべるために、11月24日には、新潟市に行ってきた。

石塚多恵子歌集『篝火(かがりび)』より。

・薪能の篝火さかる大膳社くらがりは野の奥にひろがる

・北前船泊てし宿根木潤の岩に船つなぎたる石柱いくつ

・金山の名残の官舎廃屋となりてなづさふ京町の坂

・鳥追ひの唄に追はれて来しといふ朱鷺は滅びゆく吾が住む佐渡に

・凍る海へ落ちゆく赤き日論に光る涅槃図見しはまぼろし

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小倉百人一首と和泉式部 ――歌かるた―― 

私の住む諏訪周辺には平安時代の歌人・和泉式部(いずみしきぶ)を偲ぶ遺跡がのこる。

諏訪の高島城主の墓がある温泉寺には和泉式部の墓もある。さらには、鎌倉街道沿いの下諏訪町の来迎寺の境内には和泉式部の銕焼地蔵尊像(てつやきじぞうそんぞう)がある。これは京都から時頼が担いできたと伝わる像である。その横には和泉式部の歌碑がある。

・あらざらんこの世のほかの思ひ出にいまひとたびの逢うこともがな
(わたしはこの世にいるもの、あとわずかでしょう。せめてあの世への思い出にあなたにもう一度お会いしたい) (さらに…)

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未来山脈の命名

・7台の自動車連ね未来山脈を行く口語歌の旗きらめかせて

(光本恵子歌集『おんなを染めていく』)

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島村抱月と松井須磨子

長野県松代に松井須磨子の墓がある。先日お墓参りしたので、島村抱月と須磨子について書くこととする。

島村抱月は明治4年(1871)に島根県浜田市の近くの金城町に生まれた。隣の県の鳥取県で生まれたわたしは抱月のことを身近に感じていた。抱月、その妻・市子夫人と抱月の恋の相手松井須磨子は長野県松代の人である。 (さらに…)

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「未来山脈」70周年記念号「視点」特集・・・木村草弥

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   草弥の詩作品<草の領域>
poetic, or not poetic,
that is the question. me free !
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──「未来山脈」掲載作品──(特集)

「未来山脈」70周年記念号「視点」特集・・・・・・木村草弥

・・・・・・2019/11/08刊・・・・・・・

この特集号には、過去に「未来山脈」誌の「視点」欄に載せられた文章が、まとめて掲載されている。
私が2000年10月号に執筆したものも収録されている。 ↓

口語短歌の未来──「短歌現代」新人賞をめぐって──木村草弥 (さらに…)

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今年も盆が来た

花見潟墓地の石燈籠について

わたしの育った鳥取県東伯郡琴浦町赤碕には海辺に約二万の墓が東西約350メートルに渡って立ち並ぶ。各墓地にはそれぞれ石燈籠が並び、盆の前に、燈籠に和紙を張り付けたり、灯をともす準備で大忙し。いよいよ盆になると、その燈籠に灯が着く。育った稼業は盆と正月はとくべつ忙しい料理屋。8月13日の夕方には迎え火を炊くのである。父母には忙しい時期なので夕方には墓参りのできる祖母と子供が石蝋燭に灯をともす役目。燈籠の灯が海風で消えてしまわぬように、四隅を和紙で留め、一方だけ長く延びた和紙を石で押さえる。それを済ませて、オガラ(麻の茎か)に灯をつけて「迷わないで来てください・こなかあれござれ」と声を出しながら火の粉を墓石の頭に降りかける。 (さらに…)

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「いのち」の自由律(朝日新聞 うたをよむ より)

2019年9月15日

朝日新聞 俳壇 歌壇

うたをよむ 「いのち」の自由律   光本恵子

 

うたは喜びであり、生きることそのものだ。「いのち」と言っていい。美しくなくてもいい。醜いものは醜いまま自由に何でも短歌にする。五七五七七の定型からはみだしてもいいのだ。わたしたちの結社は、普段使っている誰にもわかる易しいことばで自在に詠んでいる。 (さらに…)

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